人間関係学科の3側面

    
・日 常 性    ・テ ー マ 性   ・ク ロ ス 性
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 人間関係学科は、@日常性、Aテーマ性、Bクロス性 の3つの側面を備えています。

     松原第七中学校24期生実施プログラム(2007〜2009)

 松原第七中学校の人間関係学科は、学校で実施するガイダンスカリキュラムです。「ガイダンスカリキュラムは,すべての児童生徒の基礎的ライフスキルの発達を目的とし,系統的かつ計画的に,児童生徒のライフスキルを育成する,開発的・予防的な教育活動である。」と東京理科大学教授、日本生徒指導学会副会長の八並光俊氏は、「ガイダンスカリキュラムの広場」において述べておられます。
 ガイダンスカリキュラムは学校において展開される授業ですので、子どもたちの発達段階を考慮した系統性や順次性をもったものでなければなりません。松原第七中学校区人間関係学科の「あいあいタイム」(幼稚園・小学校)、「HRS」(中学校)は、11年間の子どもの成長に沿ったカリキュラム・プログラムをめざしています。さらに、松原第七中学校の「HRS」は、子どもたちの学校生活に活かされ、教科学習や特別活動や道徳の時間や総合的な学習の時間とともに、子どもたちの成長に寄与するために、人間関係学科の内容に3つの側面を持たせています。それが、@日常性、Aテーマ性、Bクロス性なのです。

(日常性とは)
 学校や地域や家庭において、子どもたちがもっている人々との関係性に、効果的な側面が強い授業であるということです。これは、主に自己開示を行うトーキング系の授業(『わたしのじゃがいも』 『さいころトーキング』 『松原七中の良いところインタビュー』等)等)になります。トーキング系の授業は、まず、自分自身のことを語るために、自分自身のことを言語化しなければなりません。言語化する段階で、無意識の部分が意識をされ、語るなかみの何%かは、新たに意識化・言語化されたものが加わります。これは、人によって差がありますが、子どもたちのこころが開かれた状態であればあるほど、新たな自己認識が加わっていくものです。逆に、自己肯定感が低く、自分自身のことを閉じようとするベクトルが強い子どもは、意識化されていくことすらも出そうとはしません。ですから、グループや班というひとつの枠組みの中で、お互いを出し合うことの意味があるのです。そして、このような自己開示は子どもたちの中に新たな「気づき」を引き出すことができます。仲間の知らなかった部分を知ることのよろこびや、自分の枠組みにはなかった考え方などにふれることで、人間としての枠がひろがっていくのです。さらに、このうえに相手の話を『聴く』というスキルを身につけていけば、自己開示の相乗効果というものが、格段に高まっていくことでしょう。
 このようにして、子どもたちの人間としての枠がひろがり、こころが育ってくれば、自己肯定感の低さから生じてくる「攻撃性」や「受身性」というものが、徐々に弱まってきます。(参考:「主体的なあり様と依存的なあり様」長野県公式HP)つまり、不登校やいじめの原因となるような要素というものが、徐々になくなってくるということになります。このような効果は、人間関係学科の授業すべてに渡って言えることです。それは、参加体験型の学習においての必須項目として、授業の終わりには必ず「ふりかえり」〔言語化〕と「シェアリング(わかちあい)」〔共有化〕を行うからです。これらの作業を通じて、子どもたちの自己開示が行われ、相手を大切にする「傾聴スキル」も養われます。そして、自分が大事にされていることに気づいた子どもたちは、また、さらに相手を大事にしようと思えるようになるのです。このようなプロセスを通じて、子どもたちひとり一人が、こころを開こうとする姿勢やあり様というものを身につけていきます。こころが開けば、より活発に子どもたちの主張がなされ、それが「折り合いをつける」という領域に達していきます。折り合いをつけながら、新たなことへ取り組んでいくことで、それは、相乗効果というものにつながっていくのです。相乗効果を発揮できる人間関係は、様々なことに新しい一歩を踏み出すことができるようになっていきます。


(テーマ性とは)
 人間関係学科は、子どもたちどうしの人間関係を良好にしていくための授業です。人間関係が良好な状態になっていくためには、良好になっていくための手立てである「コミュニケーション」についての理解を深めることが必要となってくるのです。そして、さらにつきつめていけば、「コミュニケーション」のもとになる人間の「感じ方」や「自己表現」ということになります。日常性のところで述べた人間の枠組みの形成についての理解に踏み込むことが、必要となってくるのです.。そこで、複数の授業を一つのパッケージとしてまとめテーマ性を持たせます。場合によっては、教員のローテーションを組んで行うこともあります。中学一年生の一学期には、基礎的なコミュニケーションに関わるもの。二学期にはストレスマネジメントから、アサーションを経てメデュエーションへ。二年生の一学期には発展的なコミュニケーションからアサーションとメデュエーションへつないでいき、二学期には感情対処へとつなげていきます。三年生においては、一学期に境界設定を、そして二学期にはリフレーミングを含めた自己管理へと進んでいきます。一年生の基礎的コミュニケーションに始まり、三年生の自己管理までのテーマを踏まえて、個人の力としての完成をめざしています。細かくテーマ設定を見ていくと、実は一つのパッケージにおいては、アサーションにつなげていっているということが、重要なポイントになってきます。つまり、三年間のプロセスを通じて、アサーティブなあり様の人間形成をめざしているのです。

(クロス性とは)
 道徳の時間における価値項目が、学校教育の全領域において浸透させられるべき価値観であるのと同じように、人間関係学科での学びは、教科授業・特別活動・道徳の時間・総合的な学習の時間をはじめ、学校教育の全領域において活かされなければなりませんし、すべての領域での学びが人間関係学科の学びににつながっていかなければなりません。これが理想の考えなのですが、実際は、人間関係学科でのあり様と同じあり様で教員が教科授業に臨むことは、なかなか難しい課題ではあります。それは、人間関係学科がファシリテーションであるのに対し、松原第七中学校においても教科授業となると「教授する」という姿勢が頑として存在しているからです。しかし、8年以上も人間関係学科を実施していると、結構自然にファシリテーション的な教授法というものを教員がからだで覚えてしまっているケースもあります。しかし、公立学校の宿命として、教員の異動というものがついてまわりますので、常に毎年一からという感覚も否定することができません。
 本来は、教員が教育のどの局面においてもファシリテーションの姿勢を持っておくべきですが、二歩前進一歩後退というようなことを繰り返しながら、教育内容の積み重ねが行われているわけです。そういうこともあり、あえて人間関係学科においては、特に行事も含む特別活動や総合的な学習とリンクをさせています。俗な言い方ですが、「すぐに役立つスキル」ということです。本来なら中学校では三年間の積み重ねを通じて、じっくりと取り組んでいかなければならないのですが、中学校の3年間というものは、本当に短く、それぞれの時期が失敗させることが出来ない一発勝負的な側面を持っています。ですから、様々なものとリンクをさせた内容というものを人間関係学科で取り組んでいるのです。例えば、宿泊の取組において子どもたちが自分自身の課題を出し合うクラスミーティングにリンクさせて、一年生の一学期に「こんなときどうした?」、二年生の三学期には「クラスミーティング・シミュレーション」などを実施しています。体育大会の前には、「松七★フレンドパーク」を、進路選択が押し迫った三年の二学期には、「私のストレス対処法」などを実施しています。

 このように、松原第七中学校では、人間関係学科に@日常性、Aテーマ性、Bクロス性という意味づけをしながら実施しているのですが、実際には、これらも「主には・・・」ということで、厳格に区別する必要はありません。3つの側面がそれぞれ関係しあい、それぞれの要素が絡み合っているというところが実際なのですから。ただ、教員と子どもたちが学びを共有するにあたり、それぞれの授業への意味づけというものが、学びを深める上において重要であるということを忘れてはいけません。