あいあいネットワーク of HRS
 
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学校の先生119番
場所名は研修を実施した場所です。 このページには、ファシリテーションを通じてブログに書き込んでいただいたものの中から、出てきた質問・疑問、あるいは意見・異論などに関して、ブログでお応えしたものです。(若干、誤字脱字など編集をしている部分もありますが・・基本はそのままです) さらにご意見がありましたら、深美隆司のブログへいただければ幸いです。当面、ファシリテーションの実施順に並べておきます。
 
132 島根県松江市
2014.2.12 Kさん
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昨日の模擬授業は正直苦しかったです。準備はしていたつもりでしたが、単純に勉強不足。そして、表現のしかたなど、指導案の型にはめ込みすぎていると感じました。深美先生はじめ、先輩の先生方にご指導いただき、少し霧が晴れました。特に、「100マス計算をやるって言われた時の気持ちを問う」「プラス思考とマイナス思考」はスッキリしました。あと私の課題は生徒たちと対話しながらプレッシャーをかけていくこと、そしてストレスの悪いスパイラルに陥ることを引き出すことです。明日にむけてがんばります!

(深美です・・そうですね。「プラス思考」「マイナス思考」でくくると解りやすいですね。わたしも勉強になりました。そうそう、それです。はじめから子どもと対話するという姿勢がホールド感を生み出します。決して言葉を置きにいってはだめですよ。子どもの理解の上に、さらに子どもの言葉を積んでいく。そんな感覚ですかね。)

131 高知県土佐清水市
2014.1.28 Gさん
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今回はストレスコーピングについてのお話がなかったですが、何か簡単にできるトレーニングの仕方はありますか?

(深美です・・・中学生ですので、今回のようなストレスの流れを理解すると自分でコントロールできるようになります。さらに、プログラムなどを通じて、子どもどうしの関係性をつくってあげれば、ストレス自体の軽減にもなります。)

130 高知県土佐清水市
2014.1.28 Gさん
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楽しかったです。生徒ともやってみたいと思いました。
自分や他者のストレスを、3つの方向から見て、解決していきたいと思いました。
最初の糸抜いているときは「ナンナコイツ…」と思いました。すみません。
ストレスを抱えていて、2次感情をばらまくことしか上手くできない子に、上手な、有効な対処方法はないですか??

(深美です・・・ぜんぜん大丈夫です。なぜなら、「ナンナコイツ・・・」と感じてもらうために、わざと糸ぬいてますから。二次感情の怒りは自然なものなので、否定してはいけません。むしろ、二次感情をあらわにした時が、一時感情レベルで繋がれるチャンスだと捉えたらどうでしょうか。)

129 大阪府東大阪市
2013.12.4 Nさん
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アサーションはきをつけないと問題を深めてしまうかもしれないと思いました。
初任者のときに相談に寄り添いすぎるとしんどくなると言われました。
あまりわからなかったのですが、相手をセンターに置くことで解決できると思いました。
ありがとうございました。

(深美です・・・アサーションにやりすぎはありません。なぜなら、アサーションとは相手を理解するが故に、相手との適切な距離をいつもとっているからです。「相談に寄り添いすぎる」ということは、相手に「侵入」しているということなのですね。「侵入」するは攻撃的なあり様です。つまり依存的なあり様になります。今日の研修は、そこまで入れませんでした。次の機会か、私の本を読んでいただければと思います。)

128 高知県宿毛市
2013.10.11 Sさん
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幡多地区教頭会研究大会での講演ありがとうございました。こどもの自尊感情をどのように育てるか。理論的な背景が゜理解できました。学力、特にこどもの興味・関心を育む上で最も大切なことだと思います。十数年前から指導という言葉が支援になり、言葉だけの変化のように感じていましたが、本日の講話の中で、単に目的や方向を示すのではでなく、多種多様な価値観の中で個性を尊重し支え、モデル化していくことを「支援」ということ。自分は支援ができていたのか考える機会になりました。また、講話のテンポが楽しく、先生の話術に知らず知らずに入り込み、楽しく聞くことができました。本日はありがとうございました。
ちなみに、幡多地区とは高知県の四万十市(旧中村市)を中心とした西部地域のことで、
四万十市、宿毛市、土佐清水市、黒潮町、大月町、三原村が幡多地区になります。

(深美です・・・Sさん、確か「未熟社会」とおっしゃってくれましたね。「成熟社会でありながら未熟な社会」まさに現状を的確に表現されているように感じます。今の成熟社会は「一人ひとりが大切にされているにも関わらず、一人ひとりが弱い社会」なのですね。ですから、ファシリテーションのような強い個への育成を支援する教育が要求されています。しかし、まだまだその担い手が育っていない。ということなのでしょう。自ずと教育の課題が見えてくるように思います。貴重な気づきをありがとうございました。)

127 奈良県奈良市
2013.8.31 Yさん
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今日のセミナーは、あっという間に時間が過ぎていきました。様々なワークを体験することもでき、有意義な時間でした。
ワークの一つに今と昔の社会を考える時間があり、今は「成熟社会」と言われていると説明がありましたが、「成熟」という表現に初めは少し違和感を覚えました。
どうしても「成熟」という言葉は肯定的な印象があり、私の感じている今の社会は問題が多く、「成熟」からは遠いものだと感じていたからですが、話を聞いていくなかで「成熟」とも言えるかもしれないとも思えてきました。
情報化のなかで各世代において個々人で他・外とつながりを持ち、関わりあっている今の状況は、「一人ひとりが大事にされる」社会とも言えますね。今の社会に対して、これまでとは違った捉え方を知れば、気持ちも前向きになります。^^
今日の学びや気づきを大切に、日々に活かしていきたいです。

(深美です・・・Yさん、コメントありがとうございました。コメント記入をする時間を確保しなかったので、今回のコメントはゼロかも・・・と思っていたのですが、しっかりと入れていただき、感謝しております。今から思えば、昔は学校の中ですら、人権侵害と思われることが多々ありましたし、いじめや不登校に関しても当事者の責任として捉えられていました。しかし、今は誰がどんな状態であっても、一人の人間として尊重されるべき存在と認められているのではないでしょうか。
しかし、一方で、生活苦や高度情報化の社会においては、一人ひとりのあり様というものが厳しく捉えられ問われるものが厳しくなっています。まさに、今の時代は「強い個」になる、あるいは「強い個」に育てるという必要性があると思うのです。そのためのツールがファシリテーションなのですね。私はカウンセリングなどの相談活動から、その可能性を見いだすことができると思っています。その一つのあらわれが今回の研修のなかみだと思っています。)

126 奈良県奈良市
2013.8.31 Kさん
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このたびは、奈良女子大学での初講演、ありがとうございました!前任校から引き続き、5回目となりましたが、何回参加させていただいても新鮮です。ワークショップは、参加してくださった皆さんとのコラボレーションですから、きっと、先生が見せてくださるパフォーマンスも、毎回毎回違ってくるのですね。
今回も、最初はみなさん緊張して、ちょっと硬い雰囲気でしたが、徐々に笑顔が増え隣の人との距離も縮まったかなあと感じていました。
楽しいワーク、鋭い理論、そして親近感が湧く言葉、すべてが先生の魅力ですね。
また、奈良女子大学でも学生・院生向けに企画しますので、今後ともよろしくお願いします。
もうすぐ刊行される先生のご著書も楽しみです!!
ありがとうございました!

(深美です・・・Kちゃんこと伊藤先生、このたびは、良い機会をいただき、ありがとうございます。参加者の中にわざわざ神戸から駆けつけてくださった方がいた事を知り、感動していました。教員の個人対象セミナーは何回か体験していましたが、一般も含めた個人セミナーは初めででしたので、若干緊張していました。ただ、伊藤先生も参加して下さっていたので、心強くは感じていました。また、これからもよろしくお願いいたします。)

125 大阪府東大阪市
2013.8.28 Mさん
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今日の研修ありがとうございます。受け身な生徒をどうしたら主体的な生徒に育てられるでしょうか?部活指導で自ら出来ない生徒が多くて困っています。

(深美です・・・これは、根本的な事ですので、ノウハウ的な特効薬などありません。しかし、唯一言えることは、認知力を高めることです。部活であれば、毎日毎日のふりかえりということになります。個人ノートをつくって顧問の先生と交流するのも良いでしょうし、部員と共有することも意味があるでしょう。要するに一日一日の練習に意味を持たせて取り組むことができるか、ということではないでしょうか。)

124 長野県木曽町
2013.8.20 Kさん
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一番印象に残っているのは「怒りは二次的感情」ということです。怒っていることに意識がいきすぎて、なぜ怒っているのか、そもそもこの気持ちは怒りだったのかを忘れてしまうこともあります。そんなときは、自分の気持ちとしっかり向き合おうと思いました。なぜかわからないけど気分が落ち込むこともあるのですが、「悲しい」というのも二次的なものでしょうか?また、自分の「気持ち」を言葉にするのはとても難しいということもわかりました。子どもたちに気持ちを言わせることをよくしますが、きちんと支援をしてあげないと言葉を発せなかった子を落ち込ませてしまうと思うので、気をつけたいと思います。文化祭が近づいてきています。一致団結して頑張る時がやってきたので、ぜひ新聞のアクティビティをやって、協働する楽しさやよさを味わわせてあげたいと思います。ありがとうございました。

(深美です・・「悲しい」という感情は、「残念だ」「寂しい」という感情と同じレベルの一次感情ですね。「怒りの心理学」http://www.counselingservice.jp/lecture/lec8.html というwebページにわかりやすい説明がありますので、読んでみてください。)

123 長野県木曽町
2013.8.20 Kさん
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 従来のイメージ(人権教育)とは違い、あたたかな雰囲気の中で楽しく学ばせていただきました。深美先生のお人柄…子どもたちに教える教師の人間性が何より大切なんだと感じました。 時代の変化とともに、今の社会や子どもたちの実態に応じた教育ということで、今日の研修で学んだことを生かしていきたいと思います。
 〜
 アサーティブ(アサーション)について。以前に受けた研修で、上手な断り方という観点で学んだのですが、今日はその限りではないと感じました。反面、授業で扱うときのことを考えると、上手な断り方として紹介した方がやりやすいように感じますが…どうでしょうか

(深美です・・・「上手な断り方」というのは、あくまでもアサーションの一面です。アサーションを使いこなすには「自分の感情に対処する力」「聴く力」「相手の気持ちを想像する共感する力」「自分の気持ちを伝える意志決定の力」等々が総合して要求されます。そういう力をトータルに養っていくことが必要でしょう。)

 
122 大阪府東大阪市
2013.8.19 ??さん
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「強い個」のお話が自分の子ども時代のことも省みられて非常に刺激的でした。多様化の時代の教育については絶対解は無いのでしょうが、だからこそ1人のタイプとしてこの教師という仕事の責任とやりがいを感じました。質問ですが、ストレスを感じ評価の段階でポジティブな感情をどうしても抱けない、切り替えが意図的にできない場合のストレッサーへの対処方法などはありますか。

(深美です・・・この本質的なご質問に対するおこたえは、「王道を行く」ということでしょう。王道とは端的に言って「主体的な人間になる」ということです。または、「主体的な人間になろうと努力する」ということです。リフレーミング(思考の枠組みを変える)などの方法はありますが、それはコツコツと積み重ねていくことで達成するものなのです。認知→行動→評価のスパイラルを実践し、それを周りの人たちと共有化していくことで、主体的な人になることができます。そして、リフレーミングも可能になるのです。なかなか、近道というものはないものなのですね。ですから、この手法を教育課程の中に組み込むことの重要性が出てくるということなのではないでしょうか。)

121 長野県塩尻市
2013.8.5 Mさん
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今回、「人権教育」と聞いて、憲法や差別の話かと想像して来ましたが、より本質的で実践的な内容であったので、大変勉強になりました。有難うございます。
 「人権教育」という言葉自体は、とても本質的で重要な概念だと思うのですが、それをいざ実践しようとすると、「人権を守ろう。差別はいけない」といったお題目だけで終わってしまう気がしていたので、今回、本質的な部分を噛み砕いて、「相手も自分も大切にして解決方法を考えよう」というアサーションの方法や、「心を開こう」という、わたしメッセージの考え方を教えていただいたことは、今後の教育実践を行なう上で、大変貴重な体験だったと思います。
 社会の変化に伴って、教員に求められる視点・方法が、「指導」から「支援」に変わってきたということも、今まで意識したことがなかったので、目から鱗でした。ところで、この点について、1つ疑問に思ったのですが、現在われわれ教員が行なうべき「支援」とは、何を目指すことなのでしょうか。必要最低限のことができるようになれば良いのでしょうか。あるいは、+αの部分まで「支援」するとして、「強い個を育てる」ために行なう「支援」とは何なのでしょうか。。。今一つ、イメージがつかめないままでした。社会全体が目標を見出せない中なので、一概に「これが目指すべき目標だ!」とは言えないとは思いますが、ぜひさらにご教示いただければさいわいです。宜しくお願いいたします。

(深美です・・・Mちゃんの存在は、今日の研修会の中で推進者になっていただきました。ありがとうございます。ちょっといじってしまいましたが、大阪人であるがゆえの性のようなもの、お許し下さい。
さて、ご質問の件ですが、簡単に言いますと「しあわせになる」ということではないでしょうか。子どもが「しあわせ」になれば、まわりの大人も地域の人も「しあわせ」になります。そして「しあわせ」と感じている人は人を差別することはできません。なぜなら、「しあわせと感じていない人」の気持ちを理解することができるからです。差別することによって「しあわせ」でない気持ちに追いやることができない人だということなのですね。そのためのツールの一つが人間関係学科であるのです。
ご意見、お待ちしております。)


120 長野県塩尻市
2013.8.5 Nさん
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10数年ぶりに人権教育の担当になりました。すると、見なれぬ横文字が・・・。他の担当者もストレートな表記や表現をしません。(授業をしなければいけないので) アサーション、ファシリテーション等、まず担当者である自身が理解しなければいけないと思いました。とはいえ、なぜこうも横文字が多いのか? 漢字は意味があり、分かりやすいので、何とか、日本語に訳して広めていただきたい。現在は保護者への教育(PTA人権同和教育という)もしています。(長野県は) 大人にとっても分かりやすくしていただきたい。

(深美です・・・「アサーション」「ファシリテーション」「ストレスマネジメント」という概念は、そのほとんどが1995年以降に一般化され普及されつつある概念なのです。20年にも満たない歴史の中で、旧来の日本語がもつ概念との間に、ズレが生じるのでしょう。例えば、「アサーション」は「さわやかな自己主張」という日本語が充てられることが多いのですが、持っている意味が時には若干、時には大いにズレてくるのです。「ファシリテータ」は「推進者」です。これも大いにズレますし、「ファシリテーション」に至っては、置き換える日本語に困ってしまいます。無理に置き換えると「参加体験型学習」です。しかし、これはワークショップというちゃんと対応した言葉がありますので、ファシリテーションの中にワークショップが含まれると言ったほうがよいかもしれません。要するに、日本語訳をしてしまうと、イメージするものが相当違ってくるのですね。
つまり、「一歩下がって、相手の気持ちを察すること」が美徳とされたこの国の文化と、「主張する」という文化の狭間で、このようなことになってくるのでしょう。これに高度情報化時代のIT関連用語を加えていくと、もう、大変なことになっています。新しい時代に突入しているということなのでしょうね。)

119 高知県四万十市
2013.7.24 Zさん
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Jさんのコメントを読んで、「ああ、そうだったんだ。あの怒りは残念という感情から出てくるものだったんだ。」と気づきました。怒りを噴出する娘を受け止められず、親子で泣きながら過ごした日々を思い出しました。自分なりに頑張っていたんだな、わかってもらいたかったんだな、と今、
はじめて娘の思いに気づき涙があふれてきました。不登校ぎみだった娘は学校から帰ると怒りを噴出し、その怒りをどうしたらいいんだろうと悩んだことでした。振り返ってみて気づくことや、思いあたることがありました。いつも夫に「また、○○と喧嘩しよる。子どもらしい」と言われる子どもらしい母親ですが、子どもの思いに気づけるように大人になりたいと思います。

(深美です・・・Zさん。引き続いてコメントをいただきありがとうございます。まさに、人間関係づくりの授業というものは人間の根本を問いかけます。ご自身の体験から、自分の課題を見つめることができるようになったということなのですね。「認めること」人間にとってもっとも難しい課題なのですが、認めることさえできれば、明るい明日が開けてきます。それだけに、人間関係づくりの授業というものは慎重であるべきですし、欠かすことができないものなのですね。Zさんの2回目のコメントを読ませていただいて、改めて実感しました。)

118 大阪府東大阪市
2013.7.2 Hさん
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とても楽しくあっという間の二時間半でした。ストレスと感じることは、人それぞれでありそれをわかってあげることが大切だとわかりました。ただ、100マス計算は、人との競争ではなく、自分が前よりどれだけ早くなったかを競うことなので、100マス計算をあまり悪者にしないで欲しいなと思いました。計算力と集中力は必ず育ちます!グループエクササイズは単純に楽しみました。ありがとうございました。

(深美です・・・100マス計算自体は悪者ではありません。使い方によっては、今日のようになってしまうということですね。とらえ方や使い方次第でまったく反対のことになるということは、今日のストレスマネジメントで感じていただいた事と同じことですね。新たな気づきになりました。ありがとうございます。)

117 大阪府東大阪市
2013.7.2 Hさん
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孔舎衙FutureCenterで勝手にファシリテーションしてますHです。今日はありがとうございました!!!
導入から次第に引き込まれていき、様々な仕掛けを通して場が深まったところに、理論的なところが落ちてきて、またグループワークで登っていく。構成が練られていて、細かい技術が散りばめられていて面白かったです!笑
感情や自己承認や行動や、とにかく、僕たち大人がまず癒されなければいけないと感じています。自分自身を許して解放していくことと、子どもと向き合い何かを伝えようとしていくことは、きっと両輪に持っていく必要のあることなんでしょうね。自分って誰なのか。何のために生きてるのか。自分がこの世界にできる自分にしかできないことは何か。結局、大人も子どももこの一点を探って生きている。僕らよりももっともっと素晴らしい世界を作ってくれるはずの子どもたち、僕たちよりもあとに生まれた、僕らより進化しているはずの子どもたちから、本当はもっと学ばなくちゃいけない。
この間、ある人から、
学習障害という言葉があるけれども、それはむしろ、大人や教師が「教育障害」を持っているということかもしれない。という言葉を聞きました。自分たちには「人間として」学ばなければならないことが本当に山のようにある。
ずっとそう感じています。
やっと言葉になりました。
さっきはふざけたことを書きました笑
次回のセッションを本当に楽しみにしております!今日は本当にありがとうございました!!

(深美です・・・Hさん、輝いていますね。私にはそう感じます。最後に書いておられるように「人間として」という言葉に共感です。私にしてみれば「人間らしさ」ということになるでしょうか。人間として生を受けて「人間らしさ」を開花することができずに一生を終わる・・・ってことがほんとうにもったいないこと、だと思うのです。例えば、ファシリテーションを勉強しようと思ったら何万円も使わないと叶わないのが今の社会です。そうじゃなくて、普通の公立の学校で、義務教育で保障していくことはできないか。この一点において、人間関係学科を広め、その結果として学習指導要領にも載るような、なかみと実態をつくりたいのです。これが、今の仕事をしている私のアイデンティティーです。どんどん学んでいって欲しいと思います。ブログの中段にも紹介していますが、Edupediaというサイトに投稿しています。著作が秋には出るのですが、夏の研修には間に合わないので、あえて投稿しています。一度、読まれてみてはどうでしょう。)

116 島根県松江市
2013..6.17 Pさん
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今日は模擬授業ありがとうございました。南国の島では生徒からねらいに合う気づきが出なくても、それをどう教師が取り上げるべきかを見させていただきました。生徒の気づきを大切にするってそういうことかと思いました。

(深美です・・・今日の模擬授業は、まったくPちゃんが書いておられるとおりでした。一枚目の絵で「安心できた」、二枚目の絵で「不安だった」というのは、全く「ねらい」とは真逆のことで、それをどう受けて還すか・・・というところは、その場の返しなのです。先生方なので、そこまで深読みした感情が生まれるのですね。これは、私にとっても新発見でしたし、あの場でしか生まれない気づきなのですね。また、その事に気づいたPちゃんはたいしたものです。その感性、どんどん伸ばしていってくださいね。)

115 島根県松江市
2013..6.17 Sさん
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研修は星の数あれど、「私も中学生だったら受けたいなぁ?」と思うのは、深美先生だからこそだと思いました。
個人的な意見ですが、二つ目の“アニメの村”は、「のび太の父はサラリーマンだから…」と先入観が邪魔してしまいました。
授業での展開や落とし方、注意点までご教授いただけることは本当にありがたいです。そうすることで、より深く生徒の心へと響かせることができると思うからです。本日はありがとうございました。

(深美・・・お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。今日の謎解きは、「全く不明」というのがポイントでしたから・・・。でも、Sちゃんのように感じるケースもあるのですね。新たな気づきになりました。ありがとうございました。)

114 島根県松江市
2013..6.17 Fさん
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リクレーション協会のワークに好んで出席していた昔を思い出します。リーダー養成の研修会でも同様のワークをしてきました。使う場が違えば、こんな効果もあるのか・・・ でも、これでねらいが達成できるのか少し不安です。人間FAX・・・とかタイトルを工夫したほうが良いかな?

(深美です・・・レクレーション協会のグループワークトレーニングというグループアプローチと、「南国の島」は、同系統のエクササイズになります。実際、「人間コピー」というエクササイズもあるくらいです。ねらいを定めることは、非常に重要なのですが、逆に、それに縛られてしまうと、子どもの気づきを見過ごしてしまいます。このへんが、醍醐味でもあるのですが・・・)

113 島根県松江市
2013.5.17 Nさん
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今日はありがとうございました。
あっという間に時間がすぎました。
教育現場で働くのは初めてで、毎日が戸惑いの連続です。
今までは母親として、自分の子どもと関わってきて、教育現場では『先生』として関わっていかないといけない。どうしたらいいの、と自分の軸が揺れていました。
母親としてでも、先生としてでもなく、そのままの私が子どもと関わっていけばいいのだ、とハッとしました。
私に軸を置き、私が信じる行動をすればよいのですね。

(深美です・・・人間として成長する。依存的なあり様から主体的なあり様をめざす。すると、自信をもてる自分というものに出会えるのではないでしょうか。自分自身としっかり対話することからはじめましょう。)

112 島根県松江市
2013.5.14 Jさん
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「南国の島」を19日の参観授業で行いました!以前にお話していたように、「流れ星」の前に、「オレが今からある風景を思い浮かべるから、ノーヒントでかいてみて」というのを入れました。
もちろん全然違う風景を一人一人描きますが、それをグループで見せ合うことによって、一人一人が違っていいんだという雰囲気もできましたし、その後の、流れ星、南国の島で情報があることの嬉しさがましたみたいです。でも「そんなのわかるわけないだろ」という雰囲気も出そうなので、ある程度人間関係ができた生徒たちとでないときついかなとは思いますが。

(深美です・・・そうですか。ノーヒントで子どもたちが絵を描きましたか。さすがは松江の子どもたちですね。Jさんの想像したことを、子どもたちが想像するということなのですね。これは、これで新たな自己開示の授業として成り立つかもしれません。ただ、今回の授業のねらいである、一方通行のコミュニケーションと双方向のコミュニケーションを比べて何を、どう気づいたのかというところが知りたいところです。続報をお待ちしております。)

111 島根県松江市
2013.5.14 Wさん
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「南国の島」。流れ星にやられてしまって、後描けない、描き辛い、というのも計算の内なんだぁ、と思いました。なんとか描けたけど、書いたものに自信が持てない、とても中途半端な気持ちが残りました。一方、南国の島は情報が多い分、自信を持って描くことができました。また、アニメの村では我々の班では班長がどの要素に関する情報を集めるのかをまず決め、情報を出しあったので、早くゴールにたどり着きました。が、カードの数字は完全に無視していました。他の班の中には数字順に情報交換した班もあり、その班は謎解きの時間をより楽しんでいたと思います。それぞれの班の楽しみ方があり、面白いと思いました。授業での生徒の反応が楽しみです。今日も遅くまでありがとうございました。
PS ボンチあげ、ご馳走様でした。研修会直前に職員室で食べていて、シンクロしたので、これは驚きでした。いつも気を遣っていただき、ありがとうございます。m(__)m

(深美です・・・授業の流れにはまってしまいましたね。今日は時間がなかったので、できなかったのですが、一枚目の絵はユニークな作品をとりあげて「ほー」と個性を認め合えるような場面があったほうが良いのです。捉えるイメージが多様であるということに気づくという、「わたしのじゃがいも」的な要素が大事です。あえて、「コピーしてください」と言いましたが、これはあくまでも、皆さんをはめ込むためのことでしたので、一枚目はそれぞれの個性があらわれたほうが面白いのです。
ちなみに、「ぼんち揚げ」は、東京の「歌舞伎揚げ」に対抗する大阪のスナックなので、松江でも販売されているとは知りませんでした。「パイン飴」もあるそうで・・・参りました!!)


110 島根県松江市
2013.5.14 Aさん
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先生、今日も本当に遅い時間まで、ありがとうございました。そして、参加してくださった先生方、本当にありがとうございました。またひとつ、一中の財産が積み上げられたと思っています。お疲れ様でした。今日、私は初めて観察する立場で「南国の島」に参加しました。自分と同じ反応の先生や、慎重派の先生や、本当にそれぞれを出させる活動だなとよくわかりました。何よりも、最初の絵を描く時の先生方の緊張感は、観察して初めてわかりました。そして、それを作り出す先生=指導者の話術や間合いは、本当に勉強になりました。このプログラムをうちの学校で根付かせたいと、改めて強く思いました。先生、一中の深美にはまって行ってくださいね。ありがとうございました。

(深美です・・・今日の模擬授業は、一部の先生に以前やってもらったよな〜。ということがネックになっていまして、どうしよう・・としばらく考えていたのですが、直前になって「観察者」になってもらおうと決めました。どうやら、観察者になっていただいた方のスキルアップにつながったようですね。良かったです。この一中さんのフィールドって自分にとってとても貴重なものとなっています。フィードバックの還しあいというものが、研修の回数を重ねる度に、深まっているのです。初めての模擬授業と比べると、格段にクオリティーが上がっています。先生方に力がついてきたということだと感じています。)

109 島根県松江市
2013.5.14 Jさん
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また、こりもせずに自分なりに工夫してみました。『南国の島』で流れ星の絵を描くまえに、「オレが思い浮かべている風景を描いてみて」とヒントなしで描かす。当然みんなバラバラな絵を描く。その後、流れ星、南国の島と進んでいく。そうすると、@言葉にも出さずに思っているだけ→全然相手に伝わらないA一方通行の伝達→おおまかに伝わるが、受け取り方によって様々B双方向のコミュニケーション→みんなが同じイメージをもてる
という感じで何となく段階を追って生徒に伝わりやすいのではないでしょうか。
やっぱり枠にはめすぎですか?(笑)何か心配になってしまうんですよね。

(深美です・・・いいえ、枠にはめすぎというより、逆に大胆さを感じます。一人ひとりが思い浮かべている絵を描くという課題は、じゃがいもを観察してじゃがいもになりきったり、美術の時間に校内を写生する以上に想像力が必要な課題になるでしょう。
何でもシミュレーションしてみることです。そして、やってみることです。結果から様々なことを学ぶことができます。動いて始めて、気づきが生じるのですから、先生は子どもたちのモデルとして、このことを実行しなければなりません。)

108 島根県松江市
2013.5.14 Jさん
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模擬授業はいつも面白いのですが、それ以上に、体験する度に、新たな発見があるのが驚きです。南国の島は最初の条件を、きちんと伝えることがポイントだとよくわかりました。アニメの村は、グループの人のカードの内容を聞きながら、自分がどのカードを読めばよりはやく正解に近づくか考えるという体験をすることが出来ました。いずれも各学級で行うのが楽しみです。

(深美です・・・なるほど、情報を聴きながらリサーチされていたわけですね。無意識にされていたと思うのですが、結構高いスキルなのだと思います。断片的な情報がアットランダムにあらわれている時に、自分が持っている情報というものをもとに整理していく力は、特に、学校の先生には重要なスキルですよね。学級づくりもそうですし、生徒指導の時などこの力があれば、まわりの人をリードしていくことができます。)

107 島根県松江市
2013.5.14 Kさん
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今日もすてきな模擬授業をしてくださり、ありがとうございました。実は昨年、2年生に対して南国の島とアニメ村をやってみました。南国の島では、つい「本当に質問しなくていいの?」と聞いてみたり、ジェスチャーで伝えてしまっていたりしたなぁと反省しています。生徒の気づきを大切にするためにも、教師として、ぐっとこらえないといけないと思いました。
アニメ村は、「宝島」や「教室はどこだ?」を以前に経験している生徒には簡単だったようでした。ワークシートの下の表だけでも十分だったと思いました。でも、生徒たちはゲームのような活動が大好きです。ただの遊びで終わらないように振り返りをしっかりしたいと感じました。ありがとうございました!!

(深美です・・・そうですか。それじゃ、今日わたしが発したコメントはKちゃんにぴったりフィットしたわけですね。じっと我慢して観察する・・大事ですね。南国の島のみなさんのふりかえりは私自身も勉強になりました。「質問が出尽くした後、絵を描く」、なるほどそのとおりです。状況をしっかりと見つめる力というものは、前がかりになっている自分の姿を修正してくれるのですね。
Kちゃんには、アニメの解説で助けていただきました。特に、工藤新一がコナンになるプロセスを、Kちゃんは生き生きと語ってくれました。実際の授業でも、授業をサポートしてくれるような発言を子どもたちから引き出したいものです。子ども本人にとっても自信に繋がりますし。)


106 島根県松江市
2013.5.14 Rさん
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勉強になりました。小さな指示がちゃんと考えられて出されているんだってあらためて感心しました。
南国の島では聞くことで最終的に全員の絵が同じものになっていくのは、クラスで一つのゴールに向けて、互いに疑問や感じたことを伝え合うことで、共同作業としてクラスを作り上げていこうという姿になっていくように感じました。口には出さなくても担任として願いたいところだと思います。
アニメの村では、指示カードを必ずリーダー格の人物がまとめてしまって、周りの人はカードを渡す人になるのが、ちゃんと役割を持ち、責任をもって伝えることで自分の存在感を感じられますね。ぜひクラスでやってみたいって強く思いました。ありがとうございました!

(深美です・・・みんなで何かを取り組んでいくとき、一枚目の絵で経験していただいたような、一人ひとりの個性や創造性が基礎になったり、突出するためのエネルギーになりますね。そして、一方では二枚目の絵で経験してもらったような双方向のコミュニケーションは、Rさんが感じていただいたように共同作業において欠かせないものとなっていきます。ですから、今日の授業は双方向のコミュニケーションが大切だということに気づくことが一番大事なのですが、一人ひとりの個性に気づくという「わたしのじゃがいも」似た要素も含んでいるということに焦点をあてると、幅の広い授業になるのではないでしょうか。)

105 島根県松江市
2013.4.16 Jさん
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深美先生、昨日は本当にありがとうございました。授業直後は、授業をうまく流すことを優先し、子どもの力を信頼できない自分の小ささにへこみました。しかし、一晩考えてみて、昨日の授業は今僕ができうる最高のことをした、だからこそ自分の本当の課題が見えたのだと思ってます。今にいつまでもとらわれることなく、さらに高い認知へもっていき、自分自身を成長させたいと思います。それが生徒たちを成長させることにつながると思うので。山を遠くから眺めていてもその大きさがわからず、一歩足を踏み入れてみてその山の大きさを実感したような(笑)これからもご指導よろしくお願いします。

(深美です・・・一晩考えてコメントを入れてくださったのですね。ポジティブに受けとめる事ができるJさんのあり様に拍手です。一つひとつ積みあげてみてください。何年か後には、自分でも想像ができなかったステージに立つことができます。これは、私の体験です。)

104 島根県松江市
2013.4.16 Kさん
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生徒たちがこんなに生き生きしながら授業に参加してる姿に驚かされました。と同時に生徒たちの気付きにすすなおに返すことの大切さ、重要さを感じました。40人をホールドできることを目標にがんばります!、!

(深美です・・・すなおに返すことのできる自分をしっかりと育てていきましょう。その核(コア)は、認知→行動→評価のスパイラルを意識的に実践することです。そうすれば、自ずと共感性が広がっていきます。共感性が広がれば、すなおに返していることが、相手にとってプラスのフィードバックになることができます。結果、相手は成長を遂げます。実はこれが教育のプロセスなのではないでしょうか。)

103 島根県松江市
2013.4.15 Aさん
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今日もありがとうございました。先生の模擬授業を受ける回数が増えるにつれ、足りない自分がそのまま出せてる様な気がします。エクササイズのなかで、自分の性分がよくでてるなぁ…と今日もおもいました。自分を知ることのおもしろさと、気づかせてもらうありがたさをこのプログラムから感じます。50過ぎても、人間変われるんだという気になっています。明日の授業、若手に引っ張ってもらいなが頑張りますね。

(深美です・・・私自身も、50歳を越えてこの世界に入ったときに、私が師と思っているマザーアースエデュケーション〔http://www.mee-cante.com/aboutus/index.html〕の松木正さんという方の研修を受けていました。研修の中で、どんどん出てくる自分自身の姿にとまどったことが度々でした。そんな経験から気づいたことなのですが、「変わった」のではなく「成長した」ということなのですね。50年間生きてきて、一度も感じることができなかった心の動きを自分自身で理解することができたのです。この一歩を引き出してくれたのが、松木さんのエクササイズだったのです。私は、この世界に出会えて良かったと思っています。)

102 島根県松江市
2013.4.15 Jさん
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模擬授業はいつも面白くてのめり込んでしまいます。ウチに帰ってぼーっとしてる時に思ったのですが、何でもキャッチもジャガイモも、周りのみんなが応援してるんだけど、ボールを受けるのも、相手を決めるのも、投げるのも、ジャガイモになりきるのも、結局は一人で決めて、一人で表現するんですね。そういう意味では授業の中で、教え合いといいながら、実は答を教えてもらうだけだったり黙って座っていれば授業が終わったりするのより、随分一人一人が考えたり、行動したりする訓練になるんだsign03と思ったんですけど…深読みですか?

(深美です・・・今日は、評価から認知に戻る部分が非常に弱いというお話をさせていただきました。つまり、自分の心の動きをとらえることが弱いということなのですね。そういう訓練をされずに答えだけを与えられた人は、子どもであろうが、大人であろうが、その答えは実は答えではないのです。おっしゃるように、考えて、行動して、感じて、また考える。これこそが人間の成長の王道であると言えます。知識は人間の成長を支えるだけの力はありません。人間の大きな目標のもとに、ついてくるものなのです。班での学習も、「教え合い」とは言わず「学び合い」と言いませんか?)

101 大阪府岸和田市
2013.4.11 Dさん
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キャッチでは、自分が投げるとき、相手の反応を待たずに投げてしまいそうになることに気づきました。ルールは簡単でしたが、投げることに不安がある子へのフォローが不安です。「ジャガイモ」は内容、やり方共に理解できておもしろかったです。
ありがとうございました。

(深美です・・・そうですか。きっと前がかりになってしまう自分に気がつかれたのでしょう。コミュニケーションにおいても、相手の話をさえぎってしまって、自分が言いたいことを言ってしまうということと共通しているのかもしれないですね。)

100 大阪府岸和田市
2013.4.11 Yさん
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「何でもキャッチ」では、ゲームをやりながら自然と相手のことを気遣ったり、考えたりして、ほのぼの・ほんわかとした気持ちになりました。指導案を見た時とは印象が少し違い、より一体感が得られるプログラムだと思いました。「私のじゃがいも」では、じゃがいもの紹介にあまりに自分を投影しすぎて、じゃがいもが他人とは思えなくなりました。指導案をみて、「教員のモデリングが大切だ!」と緊張していたのですが、生徒がもっている”教師”のイメージを覆して、多様性をみせることが大切というお話で少し楽になりました。とにかく楽しんで、でも真剣にじゃがいもになりきることが必要だと思いました。2つとも不思議な魅力のあるプログラムで、今日いろいろあって殺伐としていた心が癒されるようでした。お忙しい中、急に来ていただき、ありがとうございました。

(深美です・・・そうですね。教師が思いきって自分の殻をやぶってみるということは、この授業に限らず大切なことですよね。殻をやぶるとは言っても、それも開発された個性なのですから、それは、結局自分なんですよね。子どもと同じように、自分の枠組みが拡がっていくのです。一人ひとりがそう心がけて実行していくと、相乗効果として良い先生集団になっていくのでしょう。子どもの集団づくりも同じです。枠から攻めてはいけません。)

99 大阪府岸和田市
2013.4.11 Wさん
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本日はありがとうございました。なんでもキャッチ、相手の気持ちを考える大事さがわかってもらえればよいかなぁ、という気になりました。わたしのじゃがいもはやはりストーリを考えるのが苦手な人や話が苦手なフォローをどうするのかが課題にはなると思います。
じゃがいもを使った他己紹介なんかはできないかなぁ、とも考えたりしてしまいました。
またよろしくお願いします。

(深美です・・・そうですね。他己紹介は良いアイデアだと思いますが、難しいでしょうね。これができるなら、共感性と想像力が豊かな子どもだと言えるでしょうね。ただ、今日の模擬授業でもありましたように、それぞれがどんなじゃがいもだったかを他己紹介でクラスに共有するということはできますし、効果的だと思いますよ。)

98 大阪府岸和田市
2013.4.11 Pさん
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今日はありがとうございました。緊張すると言葉がでなくなるので、うまくモデリングができずにすみませんでした。
ゆっくり考えて、班で発表なら、うまくじゃがいもの自己紹介ができるかなぁと思っていましたが、真面目に考えすぎてあまり思い浮かばず、難しいなぁと感じました。支援学級の担任をしていることもあり、自分のクラスの生徒たちはできるだろうか・・・と考えると不安です。ある程度、「こういうところを紹介しよう」とお題があったほうがやりやすいかもしれないなあと思いました。

(深美です・・・とんでもないです。こちらこそ、急にお願いして申し訳ありませんでした。特別に支援がいる子どもに関しては、先にお題をいっしょに考えてあげるということも可能かもしれませんが、それが逆に、本人の緊張感を強めてしまうことも充分考えられます。できれば、様子をしっかりと見てていただいて、その場で助言するほうがいいのではないでしょうか。ただ、班の中で、位置付いている子どもであれば、班の子どもたちがしっかりと、支援してくれるかもしれませんよ。)

97 大阪府岸和田市
2013.4.11 Sさん
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(質問)個人的に、ボール投げは苦手です。話を作るのは好きです。「なんでもキャッチ」は、男女の違いを把握していない人間が多く配慮にかけるため、男女混合で行うことに不安があります。そういう場合、男女別のグループで行ってもいいですか?「じゃがいも」の方は、私は話を作るのが好きなので、話が作れない子の話を作ることができるのですが、クラスの中に、自由発想が苦手な生徒が何人いてるのかがわからないので、何人の教師が入っていたら6班がうまくまわるのか、知りたいです。

(深美です・・・男女をあえて混合にするということは、それなりのメリットがあります。それは、男子特有のおちょけた姿というものが、女子の存在で押さえることができるということです。長期的な視点で見ると、男女混合班が机を班の形にしたときに、ぴったりとくっついているほうがいいですよね。男女の問題ももちろんありますが、一人ひとりの個性をみんなで共有するというところが大事だと思うのですね。それと、もう一つ、話をつくるということですが、子どもの予想外な、想定外な発想というものを引き出すモデリングを心がけてください。この授業の中では、教員がもっとも気づきが多いかもしれません。大丈夫です。がんばってください。・・・特別に支援が必要な子どもがいない場合は、モデリングをする二人の教員が入るということで、いいのではないでしょうか。)

96 東京都荒川区
2013.3.9 Sさん
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この数時間を振り返ってみると、イジメに関する認知が色々な面で変わった。 まず、学生だけの話し合いのときにも色々な地域から様々な学年の人がいるので、とても刺激的な意見が沢山あってよなかったです。そして、先生の話を聞いていて、一番自分の考えを改めさせるものとなったのが、依存的な生徒によって、イジメが増幅したり、なくならない要因となっているとうことです。攻撃、受身、主体というものを使って、イジメの現状を分かりやすく理解することが出来ました。今まで、主体的すぎる子のイメージがあまりよくなかったのですが、それは依存的であった自分からの価値観によって判断していることなんだと思った。主体的な人が増えると自分の意見を持っているからこそ、相手の意見も大切に出来るんだなと感じた。 主体的な人間を育てていく教育はどうしたらいいのか、これからさらに現場を経験している方のお話をきいて、自分がなりたい教師、求められている教師像をはっきりさせたい。

(深美です・・・相手からの主張に対する自分自身の感じ方ですが、「主体的すぎる子のイメージがよくなかった」と書いておられます。主体的な人からのフィードバックと攻撃的な人からの攻撃的なベクトルが区別できない場合があります。基本的に、区別できないという事は相手の問題ではあるのですが、受け取る側に課題がある場合があります。それは、受け取る側が、依存的な場合です。受け取る側が何らかの事で追いつめられている場合、主体的な人からのフィードバックを受けとめられない事があるのですね。地道に時間をかけて、お互いの関係性を大切にすればいいのですが、そうはなれない感情的な問題がある時などは大変です。主体的な人と攻撃的な人との根本的な違いは、主体的な人は基本ぶれないということと、誰に対しても核(コア)は変わりません。しかし、攻撃的な人は相手によってぶれますし、言うことが違ってきます。大切にされていない感を感じるのも攻撃的な人からの攻撃です。良い先生になってくださいね。)

95 東京都荒川区
2013.3.9 Bさん
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・ストレスの負のスパイラルには、コーピングと呼ばれる対処をしていくことが大切である。
・認知の話では、今読んでいる「The Willpower Instinct」とリンクする部分が多くて理解が深まった。
・いじめの構造は、依存的(攻撃的/受身的)なグループが作るピラミッドを中心にしている。どうすれば主体的な子どもが増えるのか、その具体的な教育法も知りたい。(←すごろくとかですね!( ・`д・´))
・アサーションについてはなんとなくしか知らなかったので、今日の話を聞いてもっと調べてみたくなった。無視、決め付け、主役交代する教師が多いことは、僕もずっと感じていて、すごく嫌でした。どうすればそのような教師が減るのでしょうか。

(深美です・・・The Willpower Instinctという本、自己管理に関するものですか?英文の原書ですね。さすが、学生さんすごいです。「どうすれば主体的な子がふえるのか?」まさにぼっちゃんさんが感じられたように主体的なあり様の先生が増えることです。じゃ、主体的な先生になるにはどうしたらいいか。簡単に言えば、日々努力精進することだろうと思います。じゃ最後に何を努力精進するかというと、「認知・行動・評価」を実行することと、コミュニケーションを通じて自己の枠組みを大きくすることです。時間をかけてゆっくりと取り組んでみてください。)

94 東京都荒川区
2013.3.9 Tさん
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今回いじり、いじられに関してのことについて具体的にどう思いますか?

(深美です・・・Tさん。喫煙所で、ゆっくりお話ができましたね。その時、この疑問に答えさせていただきましたが、皆さんの理解が深まるということで、書いていただきました。関西の芸人が言っていることですが、お笑いの面白さは、コンプレックスが背景にあるかどうか、というのですね。生活環境に恵まれた、お坊ちゃん、お嬢さんがしゃべっても、何も面白くないやろ!というのです。私は、これをラジオで聴いていて、「なるほど」と感じました。いじる・いじられるという事もコンプレックスをベースにしてるのです。ですから、人権侵害ギリギリのところでお笑いを取っているということなのです。私が関西を出てお話を聴いていると「吉本のお笑いの世界を受け容れられない」という声とよく出会います。大阪の子どもたちは生活レベルでそんな事に慣れていますから、大人自身も過度に相手に入り込んだり、入り込まれたりということも珍しいことではないのです。そんな文化的背景があるので、大阪は大阪であるのですが、そんな背景の中での「いじり・いじられ」というものは、危険性を持っているということを認識しなければいけないですね。)

93 東京都荒川区
2013.3.9 Jさん
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1つの物事を様々な視点から見ることによって全く違うものに見えてくるということはいじめにも置き換えることができると思う。いじめにも様々な視点から見ることによって茶化しかもしれないしケンカしてるかもしれない…ということがある。いじめが起こった場合、様々な視点から見ることによって解決策も変わってくる。簡単に「いじめ」と言っても生徒のグループの中で段階があり、これはリーダー→手下→家庭→兄弟→ペット→小さい生き物という流れが起こることがある。逆に家庭的な問題のストレスが学校でいじめという形で発散されるケースもあると思う。いじめという問題が無くなることはないと思うしこれから長い付き合いになっていく問題だからもっと深く考え緩和策を練っていかなければならない。今日はいじめということだけではなく人間の心理についても勉強できて良かったです。ありがとうございます。

(深美です・・・いじめの背景には人間の成長というものがあるということなのですね。人間の成長途上にいじめや不登校などが起こってくるということです。また、成長の観点が抜けてしまうと、仮に子ども時代は何もなくても、大人になってからということだってあるということです。ですから、いじめ・不登校のことは決して対処的に考えてはいけません。こんなことが起こっているか、起こっていないかではなく、教育課程全体(個別の学校でも)が子どもの成長を促進しているかということなのです。この場合の成長とは「認知・行動・評価」のスパイラルであるかどうかです。)

92 東京都荒川区
2013.3.9 Oさん
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研修を通じてもっとガチガチな議論になるのかなっと緊張してましたが色々な工夫を通して本質を考えるというのがよかったです。よくある駄目な例をやってもダメだというのは何と無く感じてたのですが、じゃあどうしたら良いのかというのは全くといってわかりませんでした。単純に厳しく処分したらいいという風潮を影響して厳しくしたらいいのではという考えをもってましたが間違いですね。対処を行うことそれも自分流の考えではなく相談した本人がどうしたいのかしっかり聞いて対案をだす。今感想を書いていて当たり前のことなのだなと感じています。最後のロールプレイングの相談例はまさに尊敬している先生に似ていました。
私は教師を目指しておらず社会福祉士を目指している者ですが今日やったことは教師以外にも当てはまるのではと感じています。ありがとうございました。単純な質問ですが先生が教師生活の中で1番大変だったことはなんですか?またどのように解決をしたのですか?

(深美です・・・ご質問については、会場でお応えさせてもらいました。あのときは、ほんとうにしんどかったです。
「駄目な例をやってもダメだ」というのは面白い表現ですね。「厳しく対処する」というのは、ある部分正しい事ではありますが、それも全て子どもの事が大事にされているということが前提になります。そうでなければ、保護されるべき子どもが子どもとしていることができないことになるのです。子どもは子どもであるだけで困難性を抱えています。それは、子どもが一人では生きていけない事からもわかることですよね。尊敬しておられる先生がおられるということですが、大事なことですね。きっとOさんにとって良いモデルであるのでしょう。)


91 東京都荒川区
2013.3.9 Aさん
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今日の研修では、学力テストから始まり、認知といじめを作らない関係っくりなどを学んだ。いじめの本質や現代社会の背景から多方面から学ぶことができた。いじめは小集団の力関係の三角形が元となって形成するもので、その三角形を壊す為の教師の働きかけが大切ということ。ロールプレイでの教師と生徒との相談の実践を見て学ぶことが出た。自分自身も教職に関係したときはこのことを生かしたい。フィードバックもっと勉強したいです。楽しかったです。ありがとうございました。psいじめが起こったあとでもフィードバックは成立するのですか。

(深美です・・・会場でもお応えさせていただきましたが、フィードバックとは、相手にとって客観的な鏡のようなものであり、自分にとっては、客観的に認識する力のようなものなのですね。自分自身の行動により、様々な反応が返ってきます。それは、プラスのものもあり、マイナスのものもあり、何の評価もない無視ということだってあります。それを、自分自身がちゃんと受けとめられるか・・・ということなのです。これは人間力といってもいいでしょう。自分のまわりに起こっている事象をフィードバックとして捉える力と言っていいでしょう。力のあるご質問でした。)

90 東京都荒川区
2013.3.9 Wさん
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心理学的な視点からいじめの構図をとらえることは今まであまりしてきませんでした。もっと、メカニズムを勉強したいと思います。より細かい枠組みでとらえていきたいと思います。少し失礼を承知して聞くならば、深美先生のモデルが現実の状況とうまく合致しにくい時というのは、どのような時ですか?深美先生のモデルが合っていると思うからこそ、現状解決が厳しい中で、このような疑問を感じます。また、僕はいじめの改善には「認知・行動・評価」のスパイラルのうち、認知がカギになるのではないかと思っています。いじめっ子が自分の状況を客観的に捉えることができれば、いじめることに抵抗を覚えるだろうと思います。しかし、@認知の教育だけで良いのか、A効果的な認知の教育の方法にはどのようなものがあるのか、という疑問があります。そこらへんはどうなのでしょうか?

(深美です・・・会場でも一部お応えさせていただきましたが、Wさん、骨のあるご質問ですね。「依存的なあり様から主体的なあり様へ」という枠組みを「深美モデル」と命名していただき、ありがとうございます。このモデルは、人間の成長に則したものだと思っています。現実問題としてはどうなのかということなのですが、私、ニッポン放送の「テレホン人生相談」の熱心なリスナーなのですが、相続とかの問題も含めて、「深美モデル」があてはまるケースがほとんどなのですね。職場でのイジメの悩みなどは、まったくそのものと言ってもいいくらいです。「深美モデル」にもっと磨きをかけたいと感じました。Wさんが書いてくれてるように、「より細かいモデル」が必要なのかも知れません。もう一つのご質問ですが「認知の教育」という概念ですが、これは、個別のモデルというよりは、教育全体の効果として「認知の向上や発展」があるかというという、教育全体に関するモデルであると思っています。認知は平たく言うと学力であり人間力なのですね。)

89 東京都荒川区
2013.3.9 Kさん
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いじめの仕組みを言語化できたことはすごい面白かったです!仕組みがモヤモヤしていたことに対しての答えや他にも純粋に楽しいなとも感じました!どんなに学力が大切と言われていても私は人との人間関係の方が大切であると思います。現在教育で大きく変えるべきことはなんだと思いますか?はじめは攻撃的な行動をする人が主体的になった例を聞いてみたいてす。

(深美です・・・「いじめの仕組みを言語化できた」解明できたということでしょうか? そうであれば嬉しい限りです。文科省が提唱しているキャリア教育の4領域8項目では、人間関係形成能力(自他の理解能力・コミュニケーション能力)があげられているくらいですから、いわゆる一般的な学力とは別の切り口での尺度といってもいいでしょう。簡単に言うなら、人間関係形成能力が身についてくると、「学力」も向上するのです。自他の理解能力というのは、認知と同じことですから、「目標を立てることができる」「行動への動機を感じることができる」ということです。コミュニケーション能力が上がれば、「質問できる」「切磋琢磨することができる」等々、学力向上にプラスになることばかりなのですね。今、教育に必要だと感じることは、このような課題意識を行政・学校・教員というレベルで持つことです。現実はあまりにも恣意的に行われている部分が大きすぎるのです。教育の効果を得るためのコーディネーションから教育のデザインにつなげていくことだと思います。最後のご質問ですが、依存的な要素があるかぎり、必ず攻撃性は出てきます。ですから、今、主体的に生きているだろう人も必ず、依存を通過して成長しているということを忘れてはいけません。誰でも、主体的になっていいのです。)

88 東京都荒川区
2013.3.9 Tさん
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認知・行動・評価のスパイラルの中で、認知について、具体例がたくさんあり、人は固定観念が強い一方で、人によって見え方は千差万別であることがよくわかりました。評価についても、主体的と依存的の人がいることがわかりました。 行動に関しては、人間関係づくりの授業をすると、子どもを主体的に変えていくことが出来るということでしたが、人間関係づくりの授業というのは、具体例にどうやって展開して行くのか、教えていただきたいです。

(深美です・・・分かりやすく説明できるかどうかわかりませんが、大事なことは、
・ソーシャルスキル→・出会いと気づきの力→・アサーティブな人間関係調整力、というように順次的、継続的に進めていくことです。細かくは説明しづらいので、どうぞ「あいあいネットワークofHRSのHP」へいらしてください。その中の「考え方」というページhttp://www.aiainet-hrs.jp/03yotei/yotei.htmに、少々長いですが説明を掲載しています。)

87 東京都荒川区
2013.3.9 Oさん
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ストレスのサイクルの中にいじめが話しと発生していること、人間の物の見え方は千差万別であるということを、視覚的に学ぶことができました。また、いじめの構造を知り、教師と子供という枠組みだけでなく、人と人のコミュニケーションの取り方を、ロールプレイングを通して楽しく真剣に考えることができました。教育に関心のある仲間との意見交換を通して、有意義な時間を過ごせて良かったです。ありがとうございました!!!

(深美です・・・最後に「すごろくトーキング」をすることができれば、更に、自己概念をふくらますというところに、意義を感じていただけたと思うのですが、時間が足りませんでした。申し訳ありません。今日は、相当たっぷりお時間を用意していただいていたにも関わらず・・・です。でも、じっくりとやらせていただいて、それぞれの部分のつながりから、ひとつの大きなイメージへと気づきが降りてきたとしたら、今日は価値があるセミナーだったと思います。手応えはあったのですが、どうでしょうか?)

86 東京都荒川区
2013.3.9 Hさん
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僕はロールプレイングの印象がとても強く残っています。無視、決めつけ、主役交代が悪いことは理解していることでしたが、相手にフォーカスを当てて、答えを自分で見つけられるように手助けをするスタンスは思いつきませんでした。今まで私は相談を受けたら、話を聞いて、自分なりの解決策を考え、それを提示するかたちで対応していたので、自分が与えるのではなく、自分が相手から引き出すのでもなく、相手が自分で答えを見つけるお手伝いをする姿勢が斬新に感じました。相手の言ったことを繰り返したり、質問を返してあげたりして話を深める。子供のフィードバックの相手役になってあげることがここまで大切だとは思いませんでした。

(深美です・・・Hさんが言っているように「話を聞いて、自分(相談側)なりの解決策を考え、それを提示する」という方法がけっして悪いわけではありません。重要な事は、このプロセスにフィードバックの視点を組み込むということなのです。解決策を考えてあげることは、先生であったら当然のことです。しかし、そこに相談者本人の成長のプロセスに乗っていることが基本なのです。そのために、くり返したり、共感したり、提案したりしているわけです。これは、ロールプレイング1で提示したDESC法「くりかえす」「共感する」「主張する」「選択する」というプロセスとそっくりでしょう? つまり、人間関係も教育相談もアサーションが大切だということなのです。相手の気持ちを思いやる想像力、感じたことを伝える主張する力、相手の多様性を認める選択力jというものが駆使されるのです。そんな手法を使うことができる力を養いましょう。)

85 東京都荒川区
2013.3.9 ???
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本日の研修ありがとうございました。色々なことを考えさせて頂きました。ロールプレイングを見て生徒の相談にのることは、現場ではよくあることですが、気を付けないと生徒の問題解決に繋がらないこと。いじめにおいては未然防止の重要性がよく言われていますが、今日の例えのような、友人同士のこじれ的なものにも、普段から教師はよく観察して、生徒の成長の手助けをしておく必要があるように感じました。教育のプロセスとしての「認知、評価、行動」について知り、いじめにおける被害者や加害者の心理にある劣等感を評価の充実などによって解決できたら良いなと思いました。各都道府県における、学力と地域の特性の関係は、詳しく聞いたのは始めてで、とても面白く興味深かったです!質問なんですが、いじめ解決の成功のエピソードを伺いたいです!

(深美です・・・「手助けをする」という姿勢が基本です。これは、教育全般に渡って言えることで、教科授業ですら、そうあるべきだと私は思っています。実際、私は英語の教員でしたが、ずっとこの姿勢でやってきました。教えているという実感をもったことは、ほとんどありません。しかし、子どもたちはよく勉強してくれました。英語を覚えたり、話したりすることを楽しんでました。学校生活全般、楽しい!って大事ですよね。いじめは、認知すればすぐに解決しますから、エピソードというような大げさなものはありません。実は、3月12日に「いじめから子供を守ろう!ネットワークの井澤一明さんとお会いして意気投合しました。井澤さんのHPを見て下さい。解決事例を紹介してくれています。http://mamoro.org/)

84 東京都荒川区
2013.3.9 Cさん
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今回の教育フェスタでは、とても貴重な話を聞かせてもらいました。いじめについて深刻な話があるのかと思えば、県をあてるなど分かりやすく楽しい話でした。かといって関連性がとてもある話で自分が思っていた考えと思えば、全然違う考え方があるんだなーって思いました。またロールプレイでは教師がよくやってしまうことが多々あり、特に悩みなどを聞く場合は相手にセンターを置き、解決策へと導くことが大切だと改めて思いました。とても楽しくそして何より貴重な話でした。ありがとうございました。

(深美です・・・少なくとも、この人間関係づくりの世界に入ってからは、深刻な話に出会いませんので、それを語ることはできません。きっと何割からのトラブルをこの授業の力で未然防止しているのだと思います。今日の研修会のねらいが伝わりましたか? 「すごろくトーキング」が出来なかったので、完成型とは言えませんが、最後に一つの結論に落ち着いてくれれば、ねらいが伝わったと思います。ただし、それは答えが一つというものではなく、参加者の皆さんのなかに、それぞれ違った答えが生まれているはずなんですね。そういうことを、共有化することで確認していただきたいと思います。)

83 東京都荒川区
2013.3.9 Yさん
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今日は、私が今まで考えていた以上に、主体的なこどもを育てることが大事で、さらにそれがいじめを防ぐことにつながるということを学びました。また、それを防ぐための、こどもとの関係作りも、具体的に知ることができました。一人ひとりとの関係を作ることはとても大切だと思います。しかし、それだけでなく、こどもたち同士の関係作りにも目を向けることで、こどもたちが学校を卒業してからも、他の人と上手な人間関係作りができるような教育ができればいいと感じました。

(深美です・・・その通りだと思います。今、学校で良好な関係・・・というだけでなく、将来にわたって、その生き方ができるということ、つまり自立して自律している状態を教育の完成型としなければいけないのでしょう。私たちは、子どもが就職したり結婚したり人生の節目にはお祝いの言葉を贈りますが、なかなか「よく主体的な生き方ができたね」と褒めたりすることはありません。でも、こんな言葉かけ、必要だと思うのですが・・・このへんがイノベーションである所以です。)

82 島根県奥出雲町
2013.2.6 ??さん
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初めに、挨拶しても無愛想な方で、あれ?と思ったら演出だったんですね。お話を聞いているうちに、あったかい気持ちになりました。上から、「学力向上」と言う言葉を耳にタコができるほど聞いて、同ように生徒たちを言葉で追い詰めていたな〜と反省しました。まずは子供たちの心をほぐすことから再スタート してみようと思います。 ありがとうございました!

(深美です・・・ほんとうにごめんなさい。恥ずかしくて人の目を見ることができない人を演じていたのですが、「無愛想」と映っていたのですね。発見です。ありがとうございました。100マス計算をするという事実はひとつなのですが、それをどう捉えるかという人間の枠組みは様々であるということなのです。また、課題をどう乗り越えるかということは、人間の英知でもありますので、緊張感やプレッシャーを与えるということは、一概に悪とも言えないのです。そのへんが教育の奥深さなのでしょうね。)

81 島根県奥出雲町
2013.2.6 Tさん
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ウォーミングアップでは和やかに、学力テストのお話では、「へぇ?」「そうなんだ?」という話を聞かせていただき、学力はその子だけの能力ではなく、地域性もあるんだということに気付かされました。百ます計算のくだりでは、やる気満々のこの気持ちが?!残念!
自分の感情を言葉で表現することや、理解することが他者の気持ちを理解することにつながるということ、納得できるような気がしました!
追伸です。
研修の話とは離れますので、読まれましたら削除してください。今日の研修の中で、錦織監督の映画の話をされましたが、実は主人が監督と仕事をしており、嬉しく聞かせていただきました。島根で撮影された映画をすべて観ていただいているとのこと。「うん、何?」のよさについても触れていただき、感激です。映画の中に出てくる場所は実在するところばかりですので、いつかゆっくりめぐっていただくとよいかもしれません。錦織作品のファンがいらしたこと、監督、主人に伝えさせていただきますね。では、ながながと失礼しました。(*ご本人の掲載許可を得ております)

(深美です・・・Tさんのコメント、私が本文と追伸を合体させていただきました。Tさんのコメントには私自身が感動です。どうぞ、削除とおっしゃらずに、このまま残させてもらっていいでしょうか? 実は、錦織監督の「RAILWAYS・・・」があらわしているテーマが、私の研修の後半部分の研修(本日は未実施)のなかみと見事なほど一致してまして、その感動が「島根を愛する」気持ちになってしまいました。ブログの他のページ(リンク)にそのことを書いています。もし、よかったら読んでみてください。人間の力や感情というものは、周りの人々や、聞いたり観たり読んだりすることで、人間としてのモデルを取り入れることができます。私にとって錦織監督の作品は、ひとつの大きな土台となっています。そういう意味で陰ながらですが、すごく感謝しているファンの一人なのです。恐縮ですが、よろしくお伝え下さい。)

80 島根県奥出雲町
2013.2.6 Pさん
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人間関係がよければゲームをしても楽しく、話がはずむ。人との関わりの大切さを学びました。正直、最初にランチルームに入った時、「こんにちわ。」と言ってもあまり聞こえなかったので、「難しそうな人だな」と思っていました。研修会が始まって、そのお人柄がわかりホッとしました。ありがとうございました。楽しかったです。

(深美です・・・不快な思いをさせてすみませんでした。心の中では「ごめんなさい!」とつぶやいていたのです。皆さんとの出会いは一期一会ですから、心に残る場面をつくろうとした私の粗末な演出でした。ほんとうに申し訳ありませんでした。横田中学の方達は、生徒さんも先生方もしっかりと挨拶をされていたので、あの研修前の時間は、何人もの先生に心の中で「ごめんなさい」を言っていました。でも、ホッとしていただいて良かったです。少しは記憶に残ってもらえましたか?)

79 島根県松江市
2013.2.4 Pさん
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今日の活動は無意識のうちにみんなで声をかけあったり協力し合える活動でした。ただ、生徒にさせることを考えた時、つまり話をきかずに勝手なことをする生徒が多いクラスの場合、うまくいくのか不安です。最低のルールを守ることができる、というのがベースにないと難しいのかなあ・・・? やってはみたいのですが。

(深美です・・・Pさんがおっしゃるとおりだと思います。ルールが徹底しにくいクラスでは、困難であることは間違いありません。しかし、今日の模擬授業ですが、《ふりかえりでは言いませんでしたが》私は、今日の模擬授業で相当厳しいルールで行っていた事にお気づきでしたでしょうか。私が話しているときにホイッスルを鳴らして「イエローカードです」と言ったり、「なぜ立っているのですか?」と聞いたり、一人一人交代でいちいち立ってもらって新聞を破ってもらったり・・・等々です。つまり、今日のスーパー新聞ジグソーは、厳しいルールを敷かないと、無茶苦茶になってしまう可能性があるのです。でも、やっておられた皆さんは、そういうことに気を取られずに参加できたのではないですか? まあ、これがファシリテーションの神髄であると言っていいでしょう。知らず知らずのうちに、ルールを守ってもらっていると理解してください。)

78 島根県松江市
2013.2.4 Mさん
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新聞をつなぎ合わせる、という単純な行為がやり方によって、こんなにもおもしろく、班の人の協力の大切さを学ぶようになるとは思いませんでした。はじめの「新聞ジグソー」は、もう少し、複雑に新聞を破いてもおもしろいかと思いました。学級でやってみたいと思います。

(深美です・・・そのとおりです。複雑に破いたほうが、組み立て易いです。しかし、私はそのようにせず、きちっと破ってもらいました。それはなぜかと言いますと、雑に破るようなグループが出てくると場《エクササイズ》が荒れてくるのです。荒れてくるとルールを守れない人が出てくるのですね。ですから、今日の模擬授業は相当皆さんの行動を制限したルールのもとで実施していたのです。「レッドカード!」とか言っていたのは、そのためだったのです。)

77 島根県松江市
2013.2.4 Rさん
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I think it was very interesting. It made me think about the way I teach and interact with the students. I play a lot of games in my classes so this class gave me important points to take home and implement in my own games of classes.

(Thank you very much for taking part in my seminar. You challenged and tried the work with Japanese teachers, didn't you? Please enjoy your life in Japan.・・・from Fukami)

76 島根県松江市
2012.11.20 Nさん
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新聞ジグソーはグループで盛り上がり、クラスでもやってみたいです。が、活動の中での主体的なかかわりなど、どのように生徒にかえせばよいかがあまりわかりませんでした。

(深美です・・・今日は時間がありませんでしたので、エクササイズだけをして終わりました。本来は、ふりかえりまできちんとしなければいけなかったのですが、研修に模擬授業を織り込んでしまいますと、どうしてもこうなってしまいます。今日は、とりあえず、体験していただくということに重きを置きましたので、次回はふりかえりも含めたものができればと思っています。)

75 島根県松江市
2012.11.20 Mさん
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アサーション DESC法をぜひ活用したいと思いました。
@くり返す A共感する B主張する C選択する。
それから、先生私「RAILWAYS」を映画館で3回も見たんですよ!! もう感激! 錦織監督の4作目「KONSHIN」隠岐がメイン、年明けからロードショーされます。ぜひ見たいと思っています。先生もぜひ!

(深美です・・・そうですか。映画館で3回も。私は錦織監督の島根三部作のDVDを買いましたので、松江に来るときはどれか一本を観てから来るようにしています。「KONSHIN」は隠岐相撲のことを描いている映画らしいですね。絶対に観ます。教育委員会のO先生には、いつも「島根を愛して下さいね。」と言われているのですよ。〔笑〕)

74 大阪府岸和田市
2012.10.17 Yさん
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ジャンケン列車意外にグルーピングの方法があれば教えて下さい。

(深美です・・・考えていけばいろいろあるのでしょうが、私は、これ以外には、受付のところにキャラクターなどのくじを置いておいて、引いていただいたキャラクターでグルーピングをすることがありますが、「運命の出会い(ジャンケン列車)」でやっているほうが、手間もかかりませんし、何しろ楽しい要素が含まれていますので、今は、もっぱら「運命の出会い」でグルーピングをしています。)

73 大阪府岸和田市
2012.10.17 Fさん
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3つの中で、やっていて「スーパー新聞ジグソー」が楽しかったです。一気に班が協力体制になって情報を出しあって団結力が生まれました。少しずつ説明することで気付きが生まれるというのには目からウロコでした。なるべく見通しを持った方がいいと思ってましたが、時と場合によることがわかりました。

(深美です・・・先生としての見通しは、必ず持っていないといけない事ですが、それを達成するための課題を子どもたちにどのように落としていくのか、ということは別問題なのですね。新聞を16ピースに切り分けて、次どうするのだろう?という子どもの疑問に対して、一箇所に集めておもむろにかき混ぜることは、子どもたちに衝撃を与えます。「はたして、できるのだろうか」と。そして、それをやりきるというところに達成感が出てきますし、班の中で、いろんな出来事が生じてくるわけです。それを、授業の初めに、手順として全て説明してしまうとどうでしょうか。驚きや意気込みという、パフォーマンスに欠かせない部分が、非常に弱くなってくるのです。そんなことを考えながら、指導案を読み取っていただければ、と思います。指導案には、なかなか、そんなことまで書けませんので。)

72 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Kさん
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学校の中のいじめの構造が理論的に説明されていてよく分かった。依存的・主体的の話は特に興味深かった。一口には言えないと思うが、教師としてどうやってフィードバックをするのかというのが課題だと思う。

(深美です・・・フィードバックとは、まわりの人や組織からかえってくる反応ということですので、それを受ける人がどうとらえるのかということで、フィードバックとして自分にかえせるのか、攻撃や賞賛あるいは、関心・無関心、あるいは単なる反応というふうに感じるのかという違いが出てきます。フィードバックという言葉自体に、自分の成長を促すものという意味を込めて受けとめることが大事だと思うのです。よく「マイナスのフィードバック」という言葉が使われていますが、そう考えると「マイナスのフィードバック」という概念付けは成立しないのですね。それが、攻撃であっても賞賛であったとしても、フィードバックとして捉えることができれば、それは、すべて成長の糧とすることができるのです。ですから、教師としてのフィードバックとは、どういう返しであったとしても、人間として成長にプラスになるものであることが望ましいと、私は考えています。)

71 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Yさん
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今日はありがとうございました。論文を読んだだけではイマイチつかめなかったあり様の変化についていじめとのつながりを意識しながら具体的に講義をして下さりとても分かりやすかったです。あり様という視点から分析してみると、教師がイジメにどのように対処するかはとても難しい問題だと感じました。集団の関係を意識してもある意味で教師にできることってなんだろうと改めて考えさせられました。

(深美です・・・そうでしょうね。読んだだけではなかなか自分自身の中を通って、自分の枠組みに組み込むという作業は、なかなか難しいものだと思います。基本的に、他人の考えは、他人の枠組みを通じて考えられているものですから、もう少し背景がわからないと、理解をするということ自体が難しいのだと思います。実は、いじめについても同じようなことが言えます。対処するということは、自分の枠組みで接していくということなのですが、対処となると、「無理からそうさせる」という感じになるのですね。そうすると一時的には緩和したり、止まったりということはあるのですけど、根本的なことにはなかなかならないわけですね。ですから、「あり様を対峙する」ということが大切になってくると思うのです。それが「フィードバックを返す主体的なあり様」です。時間はかかりますが、そうすることによって、他人の気づきを引き起こし、その人自身が成長するということになっていくのでしょう。)

70 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Mさん
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いじめ、という問題は、色々なパターンがあると思うので一概には言えないが、なくなることは不可能なのだと思う。深美先生が「長期的ないじめにはならない(主体的な人がいれば)」とおっしゃっていたのが印象的だった。主体的、という言葉をまだ具体的にとらえきれていないけれど、いじめとどう向き合っていくか、ということに焦点をあてて、もっと考えて、話しあってみたい。

(深美です・・・子どもは、子どもであるということだけで、困難性を抱えており、しかも、依存的な部分が大きいわけですから、教員がつくっている教育的な枠組みがしっかりとしていなければ、当然誰かを攻撃したり、受身的になったりということは、あたりまえのこととして生じてくるわけです。しかし、教育的な枠組みというものは、いつまでもあるものではありません。義務教育であれば15歳で終わりです。その間に、子どもを主体的なあり様の人に成長させることができるか? ということなのですね。実際、そんなことは不可能なことです。しかし、「主体的なあり様」に育っていくために、必要なものの考え方や行動様式を提起し、子どもがそういう生き方をしたいと感じることは可能なのです。いじめの事で言えば、強引に止める事はある程度可能であっても、それを持続させることは難しいのです。ですから、おっしゃるように「いじめにしっかりと向き合って」主体的なあり様の人間をめざしたいと感じるような気づきを起こすことが大切なのです。時間はかかりますけど・・・。)

69 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Yさん
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前回の講座で納得の行かなかったり、心の中でもやっとしていたりしたことが、何となく見えてきた。主体的であるとはどういうことか、という根本的な問題も、言葉にして、修正していくなかで少し形がつかめた。「経験」や「時間」という限界があったとしても、主体的であること、主体的な子どもを求めることを諦めないようにしたい。もう一度自分たちの手と頭で今回の内容を組み直したいと思う。

(深美です・・・そうですね。「へー、そうなんですか」とか「ストレスに対処する」とか、ロールプレイング、すごろくなど前回の研修のすべての事は、今回の研修の内容に収斂されていきます。「言葉にして、修正していく」こと、すごく大切だと思います。私は、自分の経験や結論を文章としてあらわし、人に伝えていくときに、自分なりの造語をつくったり、既存の言葉でも、自分なりの意味を込めて使うことがあります。「あり様」などという言葉も既存の言葉ですけど、教育の世界では使われることはありませんでした。しかし、「あり様」という言葉でないとあらわせない意味が、依存と主体の中にはあるのです。これからも、「手と頭」に「心」を加えて、「手と頭と心」で、ものごとに向き合ってはどうでしょうか。)

68 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Tさん
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フィードバックの具体的なあり方についてお話された時(生徒をホールドする力の話の時だったかもしれません)のことについて書きます。攻撃的な対応をされた時,主体的な人が行うフィードバックとは,まず「許す」ことである。ここで,「許す」という言葉が出てくるとは思いませんでした。そして,「許す」とは,具体的にはすぐに「目を見て話すこと」という答も新鮮というか,衝撃的でした。言葉の上っ面だけではだめで,心が相手に向いていることが大切であり,そのことが身体に現れてしまうのだと理解しました。
 それでもこれは意識して訓練すれば身に付けることができる。このようなメッセージをもらったと思います。このことが今回の研修会での最大の学びでした。いつか,先生が中学生にどのようなファシリテーションをしているのか,拝見してみたいと思っております。

(深美です・・・今回もお招きいただき、ほんとうにありがとうございました。依存と主体についての感覚は、6割以上が仕事も含めた日常生活から自分自身が体験した事をベースに組み立てています。主張し行動すれば組織の中では、必ずと言っていいほど摩擦や対立などが起こります。そんな経験から、導き出した事が多いです。今回の学生さんのふりかえりへのふりかえりを書いていましたら、私自身の中に、あらたな気づきや新しい論理展開が生まれます。コミュニケーションこそが人間としての認知を深めていくという事は、なるほど、そうだなと感じる瞬間です。
子ども相手には、もう何年もやってませんので、全く自信がありません。現職で授業をやっていた頃は、相当、気合いを入れて授業へ向かっていた事を思い出します。あの時の、パワーは、もう残っていないでしょう。)


67 慶應義塾大学三田学舎
2012.10.9 Tさん
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先日はワークショップを開いていただきありがとうございました。
話は変わりますが、Happy Birthday 読みました。よくできた話だなーと(上手く出来すぎている感)思いましたが、今回のワークショップの内容とリンクして読むことができ、考えさせられました。登場人物が、依存的な有り様から主体的な有り様に変化していく様だけでなく、いじめられっこ⇒いじめっこ⇒(気づき)⇒主体的な有り様へ(順子ちゃん)など、それぞれの有り様が描かれていました。この本では、とても上手い事に周囲がポジティブな方向へ向かっていますが、教師が如何にうまく「気づき」を与える(またはうまくきっかけを作るなど、働きかけをする)のが難しいだろうと思いました。たとえ教師として、何をすればいいかわからなくなっても、問題に誠実に向き合って「自分の」問題として(決して一人で抱え込むことを意味しません)働きかけていくのが大切かなと感じました。

(深美です・・・そうですか。読んでいただきましたか。小説ですから、うまく出来ているのだとおもいますが、私は、ほんとうの主人公は、「あすか」じゃなくてあすかの母「静代」だと思うのです。それは、静代がなぜあすかを虐待し、あすかの兄に依存し、また、変容することができたのかというところに、非常に関心を持ちました。最後には、娘のあすかから「これからは、ママと呼びません。静代さんと呼びます。私を自分の一部だとは思わないで下さい。」という言葉で、自分自身を取り戻すのです。これは、静代にとっては、あすかからのフィードバックなのですね。
このように、フィードバック自体が働きかけになりますし、相手に対して大きな気づきを与えるのでしょう。どうぞ、回し読みをしていただいて、このページで気づきを皆さんで交換しあってみては、どうでしょうか。)

66 大阪府東大阪市
2012.8.30 Mさん
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夏休み研修は生徒を前にして実行し、効果がわかります。研修の次の日に思ったこと。「生徒がカワイイ」と本気で思いました。生徒の反応を予想し、あなたのことを考えているよとメッセージを送ると見事に乗ってきました。ホントに月曜日に会うのが楽しみです。
この成功体験は自分自身にも良い影響を与えます。生徒のことを考えて暖かい気持ちになれます。

(深美です・・・Mさん、続けて投稿していただき、ありがとうございます。Mさんのおっしゃる通りだと思います。人が人を「変える」ということは、いかに教師といえど不可能なことです。しかし、教師は子どもの成長を支援することはできるのですね。Mさんの「成功体験」こそが、その支援そのものだと思うのです。「自分の気持ちを大切にし、相手の姿や思いを想像しながら、主張する(支援する)。」この姿が、相手も自分も心が温かくなっていくプロセスではないでしょうか。心と心が温かくなれば、そこにお互いの相乗効果が生まれます。それこそが教育の作用ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。 )

65 大阪府東大阪市
2012.8.30 Tさん
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まだまだ暑い日が続く中、3回目の研修ありがとうございました。途中、劇(コント?)もあり、双方の立場なり、気持ちを客観的に見ることが出来て良かったです。たまたま、午前中、教室抜け出して階段にいた生徒への対応が上手くいって、研修の後から振り返ってみると、見事にDESCに当てはまっていたことに、我ながら驚きました。これからは常に意識して冷静に対応して行きたいなと思います。ありがとうございました。

(深美です・・・そうでしたか。さっそく威力を発揮しましたね。主張する〔支援する〕には、それなりの共感というベースが必要だということですね。)

64 大阪府東大阪市
2012.8.30 Kさん
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ロールプレイを演じた先生方の迫力に圧倒されました。強く出ると、相手も強く出てくる。やさしく出ると相手もやさしく出てくる。大半はこうなんでしょうが、中には、やさしく出ると増長してきたり、つけ込んだりする連中もいるので、難しいものですね。

(深美です・・・攻撃的は依存的、特に攻撃的は特に依存的なのです。特に依存的なのですから、特別な成長への支援がいるということになりますよね。これは、「強く出る」「やさしく出る」という尺度ではとらえることはできません。成長のプロセスとして考えましょう。)

63 島根県松江市
2012.8.22 Mさん
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二回目の研修ありがとうございました。後半の説明は理論的には理解できたように思いますが、現実的に、具体的な実践例等紹介していただければ喜びます。

(深美です・・・不登校の子どもを支援しているとよくわかってきます。依存的であるがゆえに、友人関係で攻撃的に出てしまった子は、時として、まわりからその何倍もの「仕返し」を受けることがあります。そして、それを受けとめきれず、また、その衝撃で学校へ来ることができなくなる、というようなケースです。一旦不登校になってしまいますと、その子のかつての攻撃的な姿は影を潜め、自信のない受身的な姿が顕著になってきます。そういう子どもを支援するとき、教員も含めたまわりの大人が、その子と同じ空間を共有するということが大事になってきます。具体的には「一緒にいる空間」という意味です。そして、今日の研修で言いますと「パターン4」にあたる受けとめをしていくわけです。そうすれば、非常に時間がかかりますが、徐々に心に力をつけるというか、心が少しずつ大きくなって、かつて、トラブルを起こしてしまった仲間たちとの関係を修復しようということになってくるのです。最後は本人の決意です。そんなふうにしながら、何人もの子がクラスへ復帰している事例があります。)

62 長野県白馬村
2012.8.6 Bさん

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主体的」と「依存的」の姿について、具体的な生徒の姿(例)を通じて依存的な子から主体的な子へ変化していくようすを聞きたい。人間関係づくりの授業の実際についても知りたいと思う。

(深美です・・・人間関係づくりの授業においては、主体的な子ども・人間になっていく姿というものは、激変するものではありません。成長の過程ですからゆっくりと変化をしていきます。具体的には「聴く力」を備え、相手の姿を想像できるようになります。攻撃的なコミュニケーションではなく、相手と折り合いをつけようというコミュニケーションのスタイルに変わっていくのです。ドラマティックな変化はありません。しかし、確実に成長をしつづけることができます。「認知」→「行動」→「評価」のスパイラルを実行し、自己の概念を広げていきます。この作業こそが、人間の心を大きくし、受け容れる範囲を広げていきます。そこに共感性というものが生まれてくるのです。これを実行していくと自らの世界観が変わってきます。教育というツールを通じて、このことを実現できるのです。具体的な姿は、松原第七中学校の一人ひとりの姿に具現化されていると言えるでしょう。
人間関係学科につきましては、あいあいネットワークのHPへお越しください。その中の「考え方」のところをお読みください。http://aiainet-hrs.jp/03yotei/yotei.htm)


61 大阪府高石市
2012.8.3 Nさん

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ありがとうございました。人はそれぞれ感じ方が違うといつもわかっているつもりなのに、実際は忘れている方が多いなぁといつも研修に来て気づきます。怒りは二次感情で、怒りの前の元になる感情が必ずある、というところがすごく印象深かったです。自分は怒りを感じた方ですが、その元にある気持ちが、ほっとしたのか、残念だったのかは、わからずでした。最初に思ったことは、めんどくさっ!と思いました。これはどんな気持ちでしょう?
日々の中で、主体的な子どもを育てたいと思いつつ、でも、依存的なことを教えたりさせたりしているなぁと感じました。

(深美です・・・どうも、すみません。「めんどくさ」と感じてしまったのは、私の責任です。私はファシリテータですから、皆さん全員のやる気を喚起しなければなりません。「いやだなぁ」と感じられることは良いのですが、「めんどくさっ!」ということになると、「何でこんなじゃまくさいことを、今、せなあかんの?」って事ですよね。そこらへんを「いやでもやる気」にさせることが私の仕事ですから、私の仕事が不十分だったってことです。ご質問ですが、Nさんの感情については、にしださん本人にしかわかりません。もう一回つかんでみてください。興味ある面白いコメントありがとうございました。)

60 大阪府高石市
2012.8.3 Kさん

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「主体的に見える依存的な子に対して、どう働きかけるのが良いのかが悩ましい。」んだということなんだなという感じがしたのが収穫です。

(深美です・・・見分け方ですか? 主体的なあり様をめざす人は話を「聴く」ことができます。そして相手の姿を想像し、折り合いをつけようと努力をします。つまり、これをアサーティブな人と言います。ですから、依存的な人との違いははっきりしています。しかし、子どもはあくまでも成長過程にありますので、それが徐々に、時には急激に成長します。その過程においては、依存性は当然残っているわけです。そういうことを見極めることができるのは、主体的なあり様をめざしている教員なのですね。そんな教員になってください。)

コメント有難うございます。友達に対してリーダーのように振る舞えるが、攻撃的に物事を進めようとする子がいるときに、その子のことを「主体的・積極的」に頑張っているのにな…と、考えて接していました。今日のお話で、その子が決して主体的な子ではなく、依存的な子なんだということがわかりました。質問なんですが、攻撃的な子で、自分よりも立場の強い子にも攻撃的な子にはどのような対応が効果的なんでしょうか?アドバイスいただけるとありがたいです。

(深美です・・・Kさん、さっそく来ましたね。まるで、チャットをしているようです。まず、ですが、「積極的」だからといって「主体的」であるとは限りません。行動が積極的に見えなくても、しっかりと芯をもった主体的な人はいます。ですから、Kさんの気づきに私も共感です。ご質問ですが、まず、私がひっかかったところは「対処」と書かれているところです。攻撃的な子は依存的な子ですから、成長してもらわないといけませんよね。いじめとか、人に暴力をふるうとか・・そんな緊急性のある事については教員は身体を張ってでもストップさせねばなりません。しかし、そこからどうするかというと常識的には「指導する」ということだと思うでしょう。言葉の上ではそれでもいいかと思いますが、その「対処」ではなく「支援」なのですよ、必要なのは。その子が「気づく」ためにどんな支援をするか、ということなのです。依存性があるのですから、保護と愛情が必要ですね。これは、学校だけでできる事でなく、家庭とも連携していかなければなりませんが、本人に依存性が大いに残っているということは、家庭内でもまた、まわりの大人が依存的である可能性が非常に高いのです。さあ、こうなればどうします? やっぱり教員しかないでしょう? だから、教員は主体的なあり様の人間をめざしていただきたいわけです。)

ありがとうございました。2学期あらためて頑張ってみます。

59 大阪府岸和田市
2012.8.2 Yさん

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質問です。職場の人間関係は、やはり主体的なかかわりが必要ですか?

(深美です・・・はい、そう思います。子どもどうしの主体的な関わりの条件は、まず先生たちが主体的なあり様でつながっていくということが肝心です。主体的なあり様のつながりからは、相乗効果というものが生まれます。お互いが折り合いをつけながら、プラスアルファの力を発揮するということです。Y中学校でも、そんな教員の関係性をめざしてほしいものですね。)

58 大阪府岸和田市
2012.8.2 Tさん

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二人の娘の父です。家庭生活において、娘が主体的な人になるための方法がありましたら、いろいろ教えてほしいと思います。

(深美です・・・毎日の子育て、ごくろうさまです。今日は、アサーションについて少しふれましたが、主体的なあり様のあらわれの一つにアサーションという技法があるのですね。アサーションは技法というふうに言われていますが、実は、スキル・技法を越えたメタスキルです。今日の研修で扱いました客観的なフィードバックをいかに還していくか、ということになります。そして、それができる条件は「開かれた人間」であるかどうかです。受容的であるということは、人間が開いているということとほぼ同じ状態をあらわします。そんな受けとめ方とあらわし方というものを日々実践するように努めることでしょうか。家庭での教育というものは、保護と愛情が基本ですから、子どもという存在を大切にし、寄り添っていくことが一番なのでしょうね。)

57 島根県松江市
2012.7.31 Pさん

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今日もありがとうございましたm(_ _)m 「センターを相手に置く」姿勢が教育相談に欠かせないんですね(^O^)生徒の思いを大切にしながら「主体的な」生徒へ育てていきたいなと痛感しました。子ども自身が持つ「育つ」力を信じることから仕切り直します。
それから、質問ですが、スキルトレーニングの授業をしても、それがなかなか続かないんです。継続して指導していく方法ってどんなものがあるんでしょう?


(深美です・・・スキルトレーニングというだけでは、実施中や実施直後はピグマリオン効果として、成果を現すことはあると思いますが、これが子どもたちの成長になっているかということでは疑問である場合が多いですね。それは、はっきりしていて、スキルが子どもたちの成長のプロセスに位置づいていないからです。つまり、スキルに留まりあり様にまで到達していないからでしょう。ですから、これは方法というより、もっと根底からの成長としてとらえなければいけない問題でしょうね。つまり、スキルのベースに自尊感情が備わっているかということになります。スキルトレーニングとともに、自尊感情を育っていくような子どもどうしの関係性、子どもと教員との関係性、またその条件となる教員どうしの関係性が構築されているかどうかということになるのではないでしょうか。)


56 島根県松江市
2012.7.31 Tさん

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先生の関西弁が心地よく、お話を楽しく聞かせていただきました。部屋の音頭が40℃だったらという質問1つにたくさんの意見があり、それを聞いてなるほどと自分も感じました。
@このような学級で使えるエンカウンターがあれば是非教えて下さい。
A自己肯定感を高めるための普段の声かけや活動があったら教えて下さい。
B間違えをおそれて挙手しない生徒への支援の方法が知りたいです。

(深美です・・・@はい。松原第七中学校のプログラムをぜひともお使いください。CDデータを一枚お渡ししております。Aこのご質問への答えが、ほとんど教育のゴールになってきますので、このスペースでは、なかなかお応えづらいのですが、あえて簡単に言いますと、教員が自己肯定感を持つことです。そのために、教員がどうしていけばいいのか、それは、学校教育の目標として、まず、自分自身で追求していきましょう。次回の研修では、こんなことにもふれます。Bこれは、結構簡単にお応えすることができます。教員が「受容的」になることです。教員がねらいや固定観念に縛られ、自分自身の枠内のことしか受け容れることができない状態であれば、子どもたちが心開くことはありません。手を挙げて間違うことを恥ずかしいと思い、きっとためらうことでしょう。)

55 島根県松江市
2012.7.31 Gさん

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百マス計算について、家で練習をしっかりしてくるよう指示した場合、ほとんどの生徒は実際にやってほしいだろうし、評価もきちんとしてほしいと思います。その時、事前の練習をきちんとせず当日も良い出来ではなかった生徒の対処が知りたいです。

(深美です・・・「生徒への対処」ということでいいですか? 多分、この構図は、本日の研修で「ほっとした」と感じた先生方の感情に似たものがありますね。あの場面を思い出してほしいのですが、もし、「ほっとした」先生方に対処しないといけない。と教員が感じた時、「ほっとした」先生方はどう感じるでしょうか。「対処」という言葉には「困った生徒だ」という教員の意識があらわれています。ですから、生徒はそれを感じとり心を閉ざしますよね。ほんとうは、「意欲のない・やる気のない」生徒のほうが困っているのですね。ですから、子どもへの関わりは「対処」であるより「支援」であるべきでしょう。そう感じとることができれば、どうにでもなります。ルールを変えてあげてもいいわけですし、個別支援だってできるはずです。ただ、Gさんの疑問である「生徒の対処」を「生徒自身の対処」と考えた場合、これは、生徒自身がどうすればいいのかということになりますので、全く違ったことになってきます。「生徒自身の対処」を支援すればいいのですからね。このへんの事は、次回以降の研修の課題になってきます。ご期待ください。)

54 島根県松江市
2012.7.31 Yさん

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楽しく、実感をともなった研修で、あっという間に時が流れました。新聞記事の「学習意欲にむすびつくようなしかけを学校ぐるみで」というところろで、どのような取り組みをされたのか知りたいです。

(深美です・・・今日の研修では提示することができませんでした。ご質問への答えはひと言で言いますと「総合的な学習」の位置づけと内容になります。地域の多くの人々と出会うために、松原第七中学校では「出会い生き方学習」という総合的な学習を展開しています。テーマは「共生と自己実現」です。松原第七中学校区のHPにその概念図を載せていますので、ご覧下さい。〈http://www.e-kokoro.ed.jp/matsubara/matsu7/08koukukenpatsu/hasshin/hasshinsub/7chu-manabi-gainen/7chu-manabi-gainen.htm〉
子どもたちの学習意欲を学校として高めていこうと思えば、このような学校全体の学びの概念の構築が必要となります。ぜひとも、それぞれの学校で「学びを組織する」という観点で取り組んでほしいと思います。)


53 島根県松江市
2012.7.30 Sさん

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アサーションな対応は大切だと、日頃から思っています。アサーションの研修は多くの先生にしてほしいです。以前アサーションの研修で、親子間には必ずしも必要ではないと言われましたが、なぜなんでしょう。

(深美です・・・んー。何なのでしょう。このことだけでは、何とも言えないのですが、とりあえず、私の考えを書いてみますね。実際のアサーションが可能になるのは、自己認知ができなければ無理です。従って、小学校3年生くらいからでないと、相手のことを想像するということがちゃんとできません。しかし、アサーションのベースとなると、全く違ってきます。それは、脳科学的に言いますと、3歳くらいまでに脳のシナプス〈神経〉のネットワークが完成してしまいます。ですから3歳までの体験と経験というものは、人間の成長にとってすごく重要な事なんです。ですから、幼児期には保護と愛情をたっぷりとかけなければなりません。それが理想です。しかも、その愛情とは、「条件付きの愛情」ではなく「無条件の愛情」です。このように育てられた子は、アサーションのベースというものができてくるのですね。まず、両親がアサーティブであるといことが、子どもへのモデルとして理想的ですし、そんな両親を子どもは見て(観察)真似(体験)して育ちますから、あえて、「アサーションの技法」と言わなくても、自然にアサーティブになるのです。実際、教室の中の子どもたちの中には、自然とアサーションを使っている子がいます。そんな子は、そんな条件の下で育ったということなのでしょう。ですから、私の考えで言いますと、「必ずしも必要がない」という説明から想像される事は、アサーションを「あり様」としてではなく、「技法」としてとらえているのかもしれませんね。)

52 島根県松江市
2012.7.30 ?さん

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ロールプレイングを外から見ていると、どこに問題があるか分かるが、自分が教育相談をしている時は自分を客観的にみられないので、共感的に受けとめられていたかなと振り返ると冷や汗が出ます。熱くなると特に自分が冷静でなくなるので反省。資料の中のターゲットスキルが知りたいです。

(深美です・・・「熱くなると・・・」という部分に非常に共感してしまいます。ですから、自分自身の感情対処が必要なのですね。ご質問ですが、「あいあいネットワークofHRSのHP」にターゲットスキルのページをつくっていますので、参考にしてください。
《http://aiainet-hrs.jp/03yotei/tenkai/tenkai4.htm》です。アドレスバーに貼りつけてお入りください。)


51 島根県松江市
2012.7.30 Nさん

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面談のロールプレイを通して、笑いながらも反省しました。知らず知らず相談者の思いを受けとめずに自己満足していたと気付きました。いじめの構造で、攻撃的&受身的な個が主体的に変わるには、どんな支援がありますか?

(深美です・・・本質的なご質問ですね。今日は、そこまで展開できませんでしたが、「依存的」→「主体的」という成長のプロセスでとらえることが必要だと思います。ですから、正確に表現すると「主体的なあり様へと成長する」と理解したほうが分かりやすいと思います。つまり、「成長し切れていない部分に対して、不足していた愛情と保護を供給する」ということになります。本来は、これは保護者がするべき事ですので、教員には限界がありますが、それでいいのです。所詮、教員は一生関わり続けることはできないのですから、保護者や地域の人々にそれを任せなければなりません。ですから「供給する」などという乾いた言葉を使わざるを得ないのです。しかし、その姿は、必ず子どもへのモデルとして提起されるわけですから、充分意味のある事だと思います。
具体的には、親身になる、子どもの立場や目線に立つ、声をかける、フィードバックを還す、など日常での関わりが主になりますが、特活や総合的な学習の中で、達成感を感じてもらうようなしかけをつくっていく、などということが有効なのでしょう。いじめの事象というものについても、基本的に成長のプロセスとして考えなければなりませんが、まずは、いじめの事象というものを把握し、止める必要があります。いじめ被害者の気持ちを尊重しながら、被害者に寄り添うことが第一です。一般的にはここで加害者に対する指導ということになるのですが、加害者に対しても「支援する」という姿勢が重要です。「加害者に人権はない」とよく言われますが、このような考えは第三者の無責任な考えであると言えるでしょう。いじめの問題というものは、そんな単純な問題ではないからです。あくまでも、被害者に対しても加害者に対しても成長のプロセスとしての支援が必要であると言えます。)


50 島根県松江市
2012.7.30 Sさん

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ストレスを感じて、そのスパイラルにおちいりやすい生徒に対してどこから手をつければいいのですか?
いじめの構造 攻撃的→受身的・攻撃的→受身的 教員のはたらきかけは、まん中の生徒にはたらきかける。

(深美です・・・まずは、ストレス対処への支援が必要だと思います。もちろん、一人ひとりへの支援が必要なのですが、クラス単位、学年単位、あるいは学校単位で、ストレス対処への学習という大枠があれば、非常に子どもたちへの支援がしやすくなります。ぜひとも、ストレス対処への学習を積んで下さい。ご相談に乗らせて頂きます。どういう部分にストレスを感じているかということは、一人ひとりによって違いますので、個別の支援が必要になってきます。)


49 島根県松江市
2012.7.30 Nさん

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けんかの仕組みやいじめの構造がわかりました。教育相談の進め方(@くり返す、A共感、B主張、C選択)がわかりやすかったです。生徒の相談、主張が受け入れられない内容であっても、同じようにすればよいのでしょうか。

(深美です・・・「受け入れられない」というなかみが肝心なのではないでしょうか。ほんとうに「受け入れられない」のか、「受け入れられない」と感じておられるのか、ということです。いじめなどの人権侵害に関しては論外ですが、「校則」などに関することで「受け入れる」「受け入れない」という判断は、学校としてどうにでもなる事であるのです。多くの学校では、この部分が手かせ、足かせになっています。学校の先生は「校則」を非常に重視しますが、「校則」でもって支援できる子と支援できない子がいます。支援できない子に対しては、枠外の支援が必要になってきます。それと、「受け入れない」状態に子どもがなっているということは、そこに至るまでのその子のプロセスというものがあります。ここを理解していくことが、教育相談の真髄ではないでしょうか。)

48 島根県松江市
2012.7.30 Fさん

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同じ物、ことを見たり聞いたりした時の認知の違いをあらためて実感しました。開いたものの考え方、広げていく、開いていくきっかけはどのような働きかけで? このあたりを詳しくしりたかったです。主体性と依存性の話も先生の演技力、ミリョクです。見習いたいですね。

(深美です・・・端的に言いますと「聴く力」だと思います。一方的に「聴く」ということではなく、心で受けとめて「聴き」、「客観的にフィードバックを還す」ということになります。そして「客観的」という部分が成長をあらわす規準になります。「客観的」と言っても「主観的」な場合が多いからです。つまり、その部分が自己概念を広げるということになってくるのです。)

47 島根県松江市
2012.7.30 Kさん
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今日はありがとうございました。今回の研修をうけて一番印象に残ったことは「感情をつかむことが大切である。」ということです。相手の感情がつかめれば相手の困っていることも分かり、支援の糸口も分かるので実際に試してみたいと思いました。最後に質問なのですが、話をしている生徒が本音を言ってくれない場合はどのようにすれば良いでしょうか?アドバイスいただけると喜びます。

(深美です・・・すみません。Kさんの質問を見落としていました。遅ればせながらお応えさせていただきます。時間はかかるかもしれないですね。その場でどうこうしようと思わないほうがいいですよ。今現在の姿を受け容れるところから始めるということでしょう。本音を言えない子というのは、それだけで支援の対象ですから、普段から先生が気に留めておかなければならないでしょうね。それだけでも、「自分のことを気にかけてくれている」と感じてもらうだけでも、心を開いていく条件なるでしょう。しかし、一番大事なことは、先生がまず心を開くことです。これがなければ、子どもが本音を言えるはずありませんよね。)

46 大阪府富田林市
2012.7.20  Yさん
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ありがとうございました。今の職場の人間関係が先生のおっしゃられた構図になっているように思いました。(悲しいことですが)でも、主体的な人間がつながっていくと、変えていけるのでしょうね。

(深美です・・・Yさん。きっと変えられると思いますよ。@くりかえす、A共感する、B主張する、C選択する(対案を出す)です。これをアサーティブネスの技法でDESC法といいます。DESC法を使うように努力をすれば、自然と「開かれた人間」へと成長することができます。開かれた人間とは主体的なあり様で行動できる人間の基本です。自分を大切にして無理なくトライすることです。)

45 大阪府富田林市
2012.7.20  Tさん
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いじめは絶対に無くなることはない。差別・選別の教育がなされる限り、いじめの原因はあり続ける。

(深美です・・・「いじめはなくならない」そのとおりだと思います。子どもは、子どもであること自体に困難性をもっています。つまり、子どもは大人が愛情と保護でもって支援しなければならない依存的な存在なのです。依存的なのだから、いじめはありますし、不登校にもなります。「差別・選別」の教育ももちろん存在します。しかし、忘れてはならないのは、そんな子どもたちに直接関わっているのが教員だということです。いじめをされた子、あるいはした子、不登校になってしまった子、なりそうな子、そんな子どもたちに支援を送り続けることができる存在が教員であるということではないでしょうか。私たちは教員であることを自覚したいと思います。)

44 大阪府富田林市
2012.7.20  Sさん
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昨年に引き続き、どうもありがとうございました。子どもに寄り添ってということは、本当に大切だとわかります。けれど、自分のクラスの中で、もっと子どもたちに自信をつげるには、どんなことを日々やればいいのか。また、学活の中で、順序立ててやっていけばいいのか、まだまだ勉強不足の所があります。何か、方法があれば教えて下さい。

(深美です・・・子どもたちが自信をつけるには、子どもたちが効力感を得ることを抜きには考えられません。そして、効力感を得るには、子どもたち自身の積みあげ(認知→行動→評価のスパイラルを促進する)と自己概念を拡げる(共感性を育てる)ことが不可欠です。その力が特別活動や総合的な学習や、教科学習等に生きてきます。つまり、根底から育てるということです。
そのための、ツールが参加体験型の「人間関係づくりの授業」と言えるでしょう。私は、便宜上「人間関係づくり」と言ってはいますが、本来は、「人間力の育成」です。今日見ていただいたロールプレイングの2本目、が実はその際の教員のあり様になります。つまり、子どもの主体が育つための相談力を教員が発揮することです。「人間関係づくりの授業」はそんな教員の力を育てることもできるのです。近道はありませんが、実は、これこそがほんとうの近道だと思っています。)

43 慶應義塾大学 三田学舎
2012.7.10 Aさん
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百ます計算をやらずに終わらせた時、私はほっとしてしまいました。何か、慶應生なのにこんな簡単な計算も出来ないのかということに気づかされたら、益々自信をなくしてしまいそう。だから、中断してもらってほっとしました。このタイプは、ストレスを溜め込んでしまうタイプだそうで、先々不安になってしまいました。何とか上手い対処法、探していきたいです。
一つ、質問があります。
ストレッサーを受けたあと、“評価”によって、感じ方が変わるとありましたが、その“評価”とは、例えばどのようなものが挙げられるのでしょうか。お手数をおかけ致しますが、宜しくお願いします。

(深美です・・・Aさん。私の説明不足だと思います。まず、「ストレスを溜めるタイプ」とありますが、それは「計算」jという分野においては「そうだ」ということだけなのです。分野が違えばそうはならないことがありますよね。問題は、ストレスを溜めてそれがストレスを増加させるような対処をしてしまうということが問題です。そういう、マイナスのスパイラルを止める「対処」が必要になるのです。
「評価」のことですが、私は「評価」というものを人間が持つ「評価システム」と位置づけています。「人間としての枠組み」ということと同義で使っています。今日の研修で言えば、「いやだと感じる枠組み」「ようし、やってやろうという枠組み」なのですね。というように感じ方が違うということなのです。「評価」から「認知」に至るものが「ふりかえり」にあたります。ふりかえりとは、気づきや感情を言語化し、それを次の認知へ積み上げていくということです。すると、前の「認知」より今の「認知」は少しだけクオリティーが上がります。実は、これが教育だと思うのです。)


42 慶應義塾大学 三田学舎
2012.7.10 I さん
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アンケート用紙のは、言葉足らずだったので、メールで改めて(汗
相手の言いたいことに一旦は「共感」を示す『キャッチャー型』と、
いきなり打ち返す『バッター型』のコミュニケーション。
この二つの違いが、最近の僕の課題です。もちろん『キャッチャー型』が理想ですが、「サバイバル方略」として、まずは生徒に対して『バッター型』を行い、
それによって態勢を整え直した上で、次に『キャッチャー型』を行う
……というのが、(セカンドベストですが)、最近、僕がやろうとしているスタイルです。
少し切ないですが(汗

(深美です・・・I さん。一回書いていただいたものを、打ち直してくれたのですね。 「(汗」という表現が何とも言えない味を出しています。そうですね。書いていただいた事を理解するのに少々時間がかかりましたが、「バッター型」というのは、来たものを「打ち返す」ということですよね。私は、「キャッチャー型」「バッター型」というよりも、関係性を表す「キャッチボール型」と考えた方が良いような気がします。はじめは、うまくいかないキャッチボールも、何度となくボールの投げ合いをしていれば、次第に、うまくなってくるような気がするのですが、どうでしょうか。)

41 慶應義塾大学 三田学舎
2012.7.10 Pさん
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いじめ、不登校を乗り越える、というのは大げさな気がします。 良くも悪くも予想通りの内容でした。 正直、どこかの啓発本を読めば事足りるように思えます。これがどう生かされるのか、というところまで踏み込めず、申し訳ないけれども期待はずれというところです。 次回行うことがあれば、もう少し、教育、というのに役立つものがほしいと思いました。 お世辞をいうのもどうかと思い、率直な感想を書かせていただきました。

(深美です・・・Pさんのこの気持ちに、研修の最中に気づかなかった私はファシリテータとしてまだまだですね。すごく反省しています。遅ればせながら、お返事をさせていただきます。
「いじめ」「不登校」の未然防止に一番必要な事は、実は「受けとめる力」「認める力」なのですね。残念ながら、これは書籍では手に入れる事ができません。理屈はわかっても身体が動かないのです。頭ではわかっているだけでは心で感じることができることにはならないのです。ここが一番教育現場で困難が生じる要因となるところとなってきます。それに気づき、行動を起こそうと感じることが今日のファシリテーションにおいて一番の目的でした。今日の皆さんのふりかえりで言いますと、はじめのほうにある「Bさん」さんのふりかえりです。Bさんの心の動きと次の行動を感じませんか? 「いじめ」「不登校」を未然に防ぐためには、一刻を争う迅速な支援が必要になります。そして、それを可能にするのは、子どもの心の動きをしっかりつかむことです。他者の心の動きや変化をつかむためには、まず、教員は自分の心の動きと変化をつかむことができなければなりません。で、この力は、残念ながら啓発書を読んだだけで身につけることはできないのです。でも、逆に言うと、啓発書を読んだだけで、それが出来る人は、研究者の方を除いてその啓発書を読む必要はありません。時間がもったいないです。
それと、一般的な啓発書ということにふれます。啓発書という概念では、何をさしておられるのかよくわかりませんが、私自身の事で言わせてもらいますと、読み手の主体を育てるものが啓発書だと思っています。もう、もってかえっていただいた論文はもうお読みになりましたか? その中の『「依存的なあり様」から「主体的なあり様」へ』というものは、「いじめ」「不登校」に関わる当事者を成長のプロセスとして見ていこう! 支援していこう!ということを訴えています。多くの「いじめ研究者」が支持しているゼロ・トレランスの考えと対極をなすものです。
私がこの考えに至ることができたのは、実用書・ビジネス書の分野に位置づけられているフランクリン・R・コビーが書いた「7つの習慣」のおかげです。コビーは、主体的×反応的という概念づけをしています。それと日本のアサーションの始祖である平木典子さんの著書です。平木さんは攻撃的×非主張的×アサーティブという三極構造で説明をしました。実は、コビーが言っている「反応的」とは平木さんが言っている「攻撃的+非主張的」のことなのですね。私は、これを成長のプロセスとして考え、成長を「依存的」→「主体的」と規定しました。つまり、2極構造であり、それはその成長プロセスに教育が関わることによって、「主体的」に育てていくということなのです。成長のプロセスに乗っ取った教育ですから、三極構造ではすごくわかりにくいのですね。どこから、どこへ行くのかよくわからないからです。「依存的」から「主体的」というベクトルを示したということです。コビーの「反応的」という言葉も、実際には「主体的」という言葉の対極には「反応的」という言葉は来ません。一昨年出された文科省の生徒指導提要ですら「主体的」という言葉の対極には「客体的」と書いています。これも、非常に理解しづらい言葉なのですね。人間は生まれたときは、100%人間の力を頼らなければならないほど完全「依存的」な状態なのです。そして、心のなかみがしっかり詰まり、大きくなっていくことで人間は「主体的」になっていきます。俗に言う「自立」という概念を超えたものになります。本来は「自立」という概念はそうだったと思うのですが、実際的には「自立」という言葉は多くの場合「生活の自立」を表しています。決して、主体的であるとうことを表しているのではないのです。「就職できてよかったね」ということにとどまっているのが現実です。今の社会は「成長社会」から「成熟社会」へ移行したと言われています。簡単に言うと、世の中を囲っていた大きな枠組みが崩れ去った時代が「成熟社会」と言われるものなのです。ですから、教員や保護者や地域の大人は、子どもが「主体的」になることを望まなければいけないような社会になってきます。まあ、こんなことを理解していただきたかったわけですね。まだまだ還しておきたいことはたくさんあるのですが、これである程度は理解していただけましたでしょうか?

お返事をコメント欄にいただければ、また、フィードバックいたします。よろしくお願いいたします。)

40 高知県黒潮町 Mさん
2012.6.21
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深美先生、いつもありがとうございます。先生のお話を聞きながら、自分はどうだろう?・・・と、いつも考えます。今日は「主体的」=「文句言い」というところに引っかかりましたね。私は常に、自分は主体的でありたいと思っているし、生徒にも主体的であってほしいと思っていました。・・・でも、考えてみれば、自分もいろいろ文句を言っているし、文句を言う生徒に腹が立つし、文句言う生徒に文句を言ってるし・・・!? 根本的に考え直した方が良さそうです(反省)。そして、自分は主体的であることを求めすぎ、攻撃的になっているような気がしました。「真の主体性」を追究していきたいと思います。日々の実践を大切にして、生徒と関わり、ともに成長していきたいです。8月の研修では、おいしいお酒を飲みながら、明日からの実践についてお話しできたらいいなぁ・・・と今から楽しみにしています。先生、お体に気をつけてがんばってください!

(深美です・・・Mさんの言うとおりで、「主体的」というと「何か攻撃的でなければならない」という誤解があるのですよね。主体的である状態というのは、なかみがしっかりと詰まっているという状態ですから、ぶれることなく、相手を攻撃せずとも共にやっていけるということです。また、積極的であるからといって主体的であるとも限りません。ゆったり、おっとりしていても、しっかりと心に芯(コア)をもっている場合があるのです。奥が深いですね。)

39 大阪府東大阪市、Nさん
2012.4.5
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ストレスの流れ、のところで「わかってました」は慣れ、学習するということに繋がるとおっしゃっておりましたが、これはポジティブな意味合いとネガティブな意味合いがあるかと思いました。その点はどうなのでしょうか?

(深美です・・・今日はあまり説明できませんでしたが、刺激があってはじめて感情が生まれます。刺激がなければ感情は生まれません。慣れるということは、その刺激をなくすか、軽減するということなのです。Nさんが書いておられるポジティブ、ネガティブという概念は、ある事実をどうとらえるかという枠組みですので、別の次元の話になるかもしれませんね。刺激が軽減されても、ポジティブに捉える人はポジティブですし、ネガティブに捉える人はネガティブに感じるのでしょう。ですから、Nさんの考えは、間違っているとは思いません。)

38 大阪府松原市、Gさん
2011.11.25
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スキルを身に付けることは、心にもないのに相手に合わせることとは違いますよね。アサーティブになることが主体性を身に付けることとどうつながっていくのかが自分の中でしっくりきていないのでアドバイス頂けると嬉しいです。

(深美です・・・「心にもないのに相手に合わせる」というあり様は、自分を押し殺して相手やまわりにあわせていく依存的なあり様です。アサーティブになることは、自分の主体というものをはっきりとあらわしていく、ということなのです。自分の主体をはっきりとあらわしていく、ということは、認知→行動→評価を積み重ね、自分の主体をしっかりと構築するということからはじまります。ですから、アサーティブなあり様というものは、主体的なあり様が実践としてあらわれる一つの形態であると言えるでしょう。しかも、アサーティブであるということは、固定観念や思い込みにとらわれない、開かれた人間であるということですから、主体的な人間のなかみの成長が促進されます。さらに、主体的な人どうしのつながりを通じて、相乗効果が現れるばかりか、他の人たちへのモデル性(理想像)を発揮することになります。本質的な質問をしていただき、ありがとうございました。)

37 大阪府松原市、Uさん
2011.8.30

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スゴロクはクラス・学年で使えるなっていう風に思いましたが、内容が深くなれば言いたくないって生徒さんはいませんでしたか?クラスの班でやる時、それが気になります。
感想)最初は一体何がはじまるんやっていう風に思いましたが、徐々に先生のペースにはまっていました。ストレスをぬく方法は以前に一度だけやったことがあることを思い出しました。自分が子供たちを指導する時、与えているであろうストレスを少なくするには、どう指導していくのがいいかとか、又は、子どもたちが多くかかえているストレスに対処する方法を指導していきたいと思いました。ありがとうございました。

(深美より・・・もちろんそうい子はいます。そういう子も含めて、自己を開示していくことの楽しさというものを、追求していきたいと思っています。そのような子は、様々な意味で支援を必要とする子どもですから、学年会議の中でも、つねに名前をあげながら支援の方法をさぐってきました。完全とまでは、なかなかいかないのですが、その子の良さというものをしっかりつかみながら、粘り強い支援をしていくというスタンスです。子ども一人ひとりが、輝くことのできるアイテムを、人間関係学科だけではなく、特別活動、総合的な学習の時間、道徳の時間、教科の時間などの全てのシチュエーションで探っていく努力をしています。)

36 大阪府能勢町、Nさん
2011.8.29
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今日は本当にありがとうございました。主体的な子どもの姿は、私たちの目標ですが、そこに行きつくまで、段階があると思います。どんな支援や言葉がけが有効なのでしょうか?具体的な成功例などありますか?

(深美より・・・おおまかに上げれば2点あるのではないでしょうか。一つは、カウンセリング的な手法による相談活動だったり、ガイダンスカリキュラムと呼ばれている授業による人間力育成です。これらは、子どもたちの主体性を育てるカリキュラムです。具体的な言葉のかけ方は、アサーションという手法によるDESC法になります。これを一言で説明するのは難しいですから、webで調べて下さい。yahoo検索「DESC法」http://search.yahoo.co.jp/search?p=desc%E6%B3%95&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=
このDESC法の言葉かけは参考になると思います。
二つ目は、主体性を育てるキャリア教育です。文科省が出している「4領域、8つの力」というものがありますから、文科省のHPからPDFファイルで出ていますので、参考にしてください。また阿東町立阿東東中学校では、それを分かりやすくまとめておられますので、参考にしてください。http://www.c-able.ne.jp/~ato-h/cary4.pdf
この理念を、学校のカリキュラムや取組に意識的に入れていくということです。)

35 大阪府能勢町、Dさん
2011.8.29
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主体的な子がいじめの対象になったり自殺したりすることになるというところに違和感がありました。主体的な子は心が満たされているので、いじめられるようなことがあっても動じないのでそれが継続せず、ましてや自死を選択するとは考えられないです。そのようなことが起こってしまうのは、こどもの主体性を充分に育ててあげられてないということだと私は解釈しています。

(深美より・・・今日、ふれることができなかった部分ですが、基本的には義務教育下の子どもは、「保護」されるべき状態にあります。つまり、「保護」→「自立」というプロセスをたどって成長していくことになります。ですから、義務教育下の子どもは、ふつうは「主体的な子ども」というよりも「主体的なあり様をめざしている子ども」とあらわした方が、正確な表現になります。そんな不完全な状態ですから、依存的なグループから、多大な攻撃的なベクトルを受ければ、致命的な傷を心に負います。教員の支援、まわりの人たちの支援が必要となります。)

34 大阪府能勢町、Mさん
2011.8.29

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今日は、研修ありがとうございました。人によってさまざまな見方・考え方があり、教師は、そのことをきちんとわかった上で、生徒と接していかなければいけないなと感じました。私自身は依存的な部分があるので、依存的な視点もいれつつ主体的な子どもを育てる指導をこれからしていこうと思います。

(深美より・・・「依存的」ってことを何で測っているかということが大切かもしれませんね。今日は、時間がなかったので入れませんでしたが、主体的な人どうしが協力しあうことを「相互依存関係」と言います。成長するにしたがって打ち消していかなければいけないのは「依存的」な部分であって、自立した人どうしが「協力」したり「依存」したりすることは、より相乗効果を生み出した成果をあげることができます。自らの「依存的」な部分にたいしては、勇気を出して克服していきましょう。)

33 大阪府能勢町、Kさん
2011,8.29
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ありがとうございました。認知に関しては、自分自身の認知と子どもの認知のズレを、埋められないまでも、寸分理解した上で、関わっていく必要があると感じました。主体的と依存的の話ですが、依存から主体に向けて大きく変化する瞬間があるように思います。その瞬間に働いた力が、成功体験に基づいたプラスの力であろうと、苦しい体験からのダークな力であろうと、いずれにしても、一定の右肩上がりではないでしょうね。その瞬間に出会うチャンスを普段の活動の中でたくさん与えていけたらと思います。

(深美より・・・ご指摘のとおりだと思います。横長の大きいフリップには、主体的なあり様が右肩上がりになっているように表しましたが、実は、もっとガタガタとあるいは、上がったり下がったりするラインになるのでしょう。「認知」→「行動」→「評価」のスパイラルに乗ってさえいれば、一つひとつのプロセスに影響されることなく右肩上がりに成長していくことでしょう。しかも、その成長は無限です。人間というものはそんな力を秘めた存在であるということです。)

32 大阪府富田林市、Gさん
2011.8.26
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お忙しい中ありがとうございました。ストレスの話、もう少し聞きたかったです。認知、対処はわかりましたが評価が次の認知にどうつながりますか?

(深美より・・・認知とは、自分自身を知る力です。自分自身を知れば、それに従って行動することができます。行動すれば、その行動についての感じ方(評価)を得ることができます。その評価を言語化して、認知に上積みをしていけば、「認知」「行動」「評価」のスパイラルをつくりあげることができますよね。この成長のスパイラルを習慣化さえすれば、人間は永久に成長していくことができるということなのです。)

31 大阪府富田林市、Dさん
2011.8.26

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短時間で参加者の心を引きつけ、本性を見抜かれてしまい、驚きました。自分は平凡な考え方をすると思っていたのに「国宝級」とまで言われてしまい。明日からどうしようか・・・と迷います。是非次回にアドバイスをいただきたいです。ありがとうございました。

(深美より・・・私にとって、今日の研修の成果は、Dさんの「気づき」を知ったことでした。よく考えると、Dさんのような「気づき」をされた方は、今までに何人もいたことなんでしょう。けど、私自身がとりあげる力や気づく力の不十分さによって、認知することができてなかったのだと思います。それを、自分から挙手していただいて、伝えてくださったこと自体が、Dさんの心のひらき方を表しているのだと感じました。そういう素晴らしいあり様というものを、自分自身のアドバンテージとして、さらに高めていっていただきたいです。Dさん、ありがとうございました。)

30 高知県四万十市、Bさん
2011.8.19

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今日の講習会では、いろんな気付きがあり、これまでの自分の概念が変わった部分がありました。これからの生徒との関わりの中で活かして行きたいと思います。ちなみに…、檮原の賞を取ったクラブは、家庭クラブの活動です。本校の家庭クラブ活動も来年度は四国大会に出場します。相互依存関係を大切に活動を続けていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

(深美より・・・そうでしたか。ありがとうございます。それじゃ、あのしっかりとプレゼンしていた男子も家庭クラブなのですね。時代にマッチして頼もしいです。)

29 高知県四万十市、Mさん
2011.8.19
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どんな話が聞けるのか、活動するのがワクワクしながらの研修でした。最後のクラスの在り方の「攻撃的」・「受身的」・「主体的」の生徒達の関係図に関してですが、実際には、もっと複雑で、。また△内へのアプローチが高校生は小・中学生よりも働きかけしにくいと感じます。一人の個としての確立がなされていて、教育からのアプローチがひびきにくいと感じます。生徒への対応の仕方、いつも自分の中での課題です。レジメの「3.人間らしさ」の話もおききしたかったです。楽しく、考えるきっかけを与えて下さってありがとうございました。

(深美より・・・そうなんですね。高校での課題というのは「教育からのアプローチがひびきにくい」ということは、よく理解できます。その分、義務教育である小学校・中学校の責務は大きいのでしょう。中学校の教員を過ごしてきた私としては、義務教育の上に積みあげる高校での教育の内容というものが、例えば「プロジェクト学習」というような形で、地域や産業を巻き込み、ダイナミックな形で展開されていくと良いなあと思います。時代は、そういうものを要求しているのではないかと思っています。)

28 高知県須崎市、Hさん
2011.8.18

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『色眼鏡を外して子どもをみよう』ということはいつも気がけています。自分自身が思い込みで判断することが多いので、戒めにしています。クラスの人数が少ない分、見えすぎて関わりすぎないようにすることも気をつけています。若いときに『先生・先生』と呼ばない子どもを育てたいと言っている先輩がいて、確かにそこが目標だと思うのですが… 現場の時は深み先生はその事について、どう考えられていましたか?

(深美より・・・確かに依存的か主体的かというときに「先生、先生」と言うか言わないかということは一つの尺度ではあると思います。これは、小学校と中学校とでは成長のプロセスに従って、違った規準がなければならないと思います。私が中学校の現場にいたときは(とは言っても10年ほど前ですが) 宿泊などの行事の時には、「しおり」などに書かれた行程表に従って、教員に「先生、次なにするの?」などという質問は受けつけないょ、というような指導をしていました。でも、それだけでは、子どもは主体的にはなりきれません。中学校段階だと、子ども一人ひとりがプロジェクト学習のようなものを通じて、ひとつのプレゼンやポートフォリオを使って表現できるような、何かを生み出す学習を通じてこそ、鍛えられ育っていくのではないかと思っています。)

27 高知県須崎市、Mさん
2011.8.18
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「主体的」と「依存的」については、人間であれば両面持ちあわせていると思っています。物事には全くプラス面とマイナス面があり、出会う事象により、また、環境(育った)や現在の状況によって、どちらにもあてはまるのではないでしょうか。両方はっきりと区別せず、グレーでいられたら、マイナス面が出ないように、自分を振りかえることができると思います。学習集団づくりでは、児童の両面を見ながら、自らも確立していく、支援・援助のできる人間になりたいと思います。

(深美より・・・はい、そのとおりだと思います。完全な人間になることはできませんので、主体的であるということは、厳密に言うと「主体的になりたいと思っている、心が開かれた人」ということなのです。人間は、依存的であるという尺度に気づいていなければ、その依存性を克服することはできません。すなわち、認知できてなければ「自分を成長させていく行動」に移ることができないといくことではないでしょうか。ですから、「主体的」「依存的」という尺度が必ず必要になってきます。今の教育の世界には、そういう尺度がないのですから・・・)

26 高知県須崎市、?さん
2011.8.18
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「主体的」と「依存的」については、人間であれば両面持ちあわせていると思っています。物事には全くプラス面とマイナス面があり、出会う事象により、また、環境(育った)や現在の状況によって、どちらにもあてはまるのではないでしょうか。両方はっきりと区別せず、グレーでいられたら、マイナス面が出ないように、自分を振りかえることができると思います。学習集団づくりでは、児童の両面を見ながら、自らも確立していく、支援・援助のできる人間になりたいと思います。

(深美より・・・はい、そのとおりだと思います。完全な人間になることはできませんので、主体的であるということは、厳密に言うと「主体的になりたいと思っている、心が開かれた人」ということなのです。人間は、依存的であるという尺度に気づいていなければ、その依存性を克服することはできません。すなわち、認知できてなければ「自分を成長させていく行動」に移ることができないといくことではないでしょうか。ですから、「主体的」「依存的」という尺度が必ず必要になってきます。今の教育の世界には、そういう尺度がないのですから・・・)

25 高知県黒潮町、Mさん
2011.8.17
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深美先生、昨日はありがとうございました。夜の会も、とても楽しかったです。昨日の研修では、携帯の電池が残り少なかったためコメントを思い切り書くことができなくて、また先生方のコメントもゆっくり読めなかったので、今日出勤してからパソコンで思う存分読みました。ロールプレイでアサーションについて学び、2学期の学級づくりに生かしていきたいなぁと思いました。言い方ってホントに大事ですよね。そのことを、生徒にも身をもって教えられるよう、前向きにがんばっていきたいです。初ロールプレイの台本は、教訓(戒め?)として、これからも大事にとっておきたいと思っています。貴重な体験の機会を与えてくださった先生方に心から感謝しています。深美先生、暑い日が続きます。お忙しいと思いますが、お体ご自愛ください。(大方中、研究主任)

(深美より・・・ありがとうございます。大方中学校は、先生方の関係性がしっかりとできている素晴らしい学校です。きっと、一つひとつの積み重ねで、こうなってきたのでしょうね。もっともっと前に進んで、学校の財産、教員の財産、自分の財産を増やしていってください。)

24 奈良県桜井市、Yaさん
2011.8.8

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今日はありがとうございました。座学だけでなく、アクティビティが豊富にあり、とても楽しく研修を受けることができました。認知構造の把握、依存的から主体的に成長していくように援助していく大切さがよく分かりました。しかし、主体的な子どもにしていくための援助の具体的な方法をもっと詳しく教えていただきたかったです。

(深美より・・・会場では「書かないよ」と言いましたが、いい質問だと感じましたので、私の考えを述べます。簡単に言うと、主体的な子どもを育てるための具体的な方法というようなものはありません。唯一、そしてただひとつの方法は、教員が主体的になることです。教員が主体的になれば、教員の関わりすべてが、子どもたちへのフィードバックとなり、子どもたちは認知・行動・評価のスパイラルでもって成長していきます。つまり、教員自身が認知・行動・評価のスパイラルをもっていることが条件になってくるのですね。すると、教員の具体的な行動一つひとつが子どもたちへの支援になっていきます。具体的な方法といえば、これが具体性をもった行動になります。ネットの検索で「DESC法」というものを調べて下さい。これは、アサーティブネスにおけるトレーニング方法なのですが、人間どうしの関わり(子どもも教員も)に有効ですので、ぜひとも試してみてください。)

23 奈良県桜井市、Wさん
2011.8.8
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今日は楽しい導入から始まり、中身の濃い講演をしていただき、ありがとうございます。私も子どもたちの主体性をのばしていけるように日々指導しているのですが、なかなかうまくいきません。先生が普段からどのようなことを心掛けているのかを教えていただけたらありがたいです。何か1つでも実践していけたらなと思っています。よろしくお願いします。

(深美より・・・返事がおくれました。申し訳ありません。心がけていることは、一ヶ月、一学期、一年単位で目標を決めて、それがどれだけできたか確認していることです。1日単位では、なかなか決まったことを少しずつ取り組むなんていうことは、すごく難しいので、これくらいのスパンで考えています。ですから、二年とか三年とかいう単位でみますと、必ず成長している自分を確認することができます。55歳になった今でも、年々進化していることを実感しています。)

22 奈良県桜井市、Moさん
2011.8.8
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今日はありがとうこさいました!! みんなで共感しあったり、歌を歌ったり、いろいろともりだくさんで楽しく聞けました。共感って大切なことなんですねhappy01 写真のものが何かを当てるクイズでは、全然分からなくて、普段見てるようなものでも案外見てないんだなぁと感じました。子どもに対しても同じで、見ていないところがたくさんあるんだろなぁと気づかされました。最後少し力尽きてしまって、すみませんでした…sweat01sweat01

(深美より・・・「力尽きた」などとんでもありません。ファシリテータの中には15分一方的に話を聴かせることは人権侵害だという人もいるくらいですから、力尽きさせるのはファシリテータである私の責任です。最後は、私がしゃべりすぎました。ごめんなさい。)

21 奈良県桜井市、Haさん
2011.8.8
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本日はありがとうございました。斬新です(ブログへコメントも含め←言語化による認知だけでなく、他人の意見も知るというメリットもすてきですね)。主体的と依存的という切り口でいじめの構造をみたことがなかったです。依存的の中でも攻撃的にもわけることも初めての見方で、納得することもありました。受け入れられることの安心感は近年の研修を通じて体感してきましたが、今日もそれを感じることができました。学校だけでなく、家庭や他者との関係にも心がけようと思います。

(深美より・・・はい、ありがとうございます。そう言っていただけると、私の自己効力感が高まります。いじめに関わる文献をいろいろ見ても、なかなか自分の中で落ちるものがあまりありませんでした。アサーションを日本に初めて導入された平木典子さんの考えや、ビジネス書になりますが、R・コビー「7つの習慣」、松原七中のアンケート分析などを通じて、仮説を立ててみました。)

20 奈良県桜井市、Hさん
2011.8.8

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自分は主体的な人間だと思っていたのに、最近受け身な部分が目だつて来ました。子どもに対しても自信が持てず少し病んでるなあ。と感じています。受け入れてもらうことの安心感にうえてるかも…こんな自分が2学期からどんな風に子供の前に立つのか…課題満載です。教材研究で武装しても不安が消えません。人生相談のようになってしまいました。今日はありがとうございました。

(深美より・・・「主体的」というのは「積極的」というものとは、違う概念です。このへんを混同してしまうと、自分に対する自信を失ってしまう場合があります。「武装」というあり様を変えてみてはどうでしょうか。「武装」という言葉jから「勝か負けるか」という構図を想像してしまいます。そうではなくて、「人間的に、主体的なあり様を提示する。」というありのままの姿で臨まれてはどうですか。人生相談はおおいに歓迎です。教員への積極的なカウンセリングも私の仕事ですから。)

19 奈良県桜井市、Maさん
2011.8.8
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ウォーミングアップの『受け止めてください』がおもしろかったです。「へぇ?」「そうなんですか?」と言ってもらえると、聞いてくれていることがわかり、話しやすくなると思いました。忙しい時に話しかけられると聞き流してしまうことがありますが、相打ちを打って聞いてあげないといけないと再認識しました。メガネの色もわかりやすい例えでした。ただ、主体的と依存的のところからもう少し具体的な例えも含めもう少し詳しく聞きたかったです。

(深美より・・・具体例を一つだけ・・・ストレスをすぐにためてしまう子が、壁をどついたり、ドアをけったり、仲間にいやなことを言ったり、したりする場合があります。そこで、ストレスマネジメントの学習とアサーショントレーニングをセットでやってあげると、ストレスがたまった時、外へ出てボールでも蹴ってこよう!とかいうように、対処法を身につけることができます。これは、依存的な姿から、一歩、主体的な姿に変わったあり様だと言えます。生理的に言いますと、たまったストレスは、アドレナリン系のホルモンを生じさせますから、運動することによって、体内に活性酸素を発生させないという働きがありますし、「(身体を動かすことで)気持ちいい」という状態になれるβ−エンドルフィンというホルモンを産み出すことになります。身体にも、心にもいい、ということです。)

18 奈良県桜井市、Tさん
2011.8.8
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自分のニックネームを自分で考える、自分の好きなキャラクターや自分の夢などをニックネームにする、という試みが面白かったです。ただそれだけのことなのにそれぞれの個性がしっかり出ていて、その後の発表も楽しく、自分もやってみたいと思いました。ありがとうございました。

(深美より・・・名札づくりのねらいに気づいていただき、ありがとうございます。ちなみに、「運命の出会い」では、一列目がきれいに空いていた場を、私がやりやすいように、前につめていただく、という意味もあったのですよ。)

17 奈良県桜井市、Sさん
2011.8.8
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今日はありがとうございました。
認めてもらいたい 欲求
認めたい 欲求
期待する 答えを返せないもどかしさ
否 どんな返しを期待しているのか 分からなくなるとき 子どもを見失ってしまう瞬間ってありませんか
瞬間 瞬間 には間に合わないときも まぁ じっくり がんぱります。
何でも 認める は なかなかできませんが

(深美より・・・私はまだまだ小さな人間ですから、いつでもそういう瞬間はあります。しかし、少なくとも去年よりは今年の自分というものが、成長している自分というものを確認したいと思っています。であるからこそ、わくわく、どきどきするものを感じることができます。3年前、今こんな事をしてるなんて、想像することすらできませんでしたから・・・。人生は刺激的です。)

16 奈良県桜井市、Yさん
2011.8.8
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こどもが大人に成長するなかで、主体的な部分を増やしていくために、特に不安定な時期の子どもにはどんな手だてが効果的なのでしょうか?暴力や強制は受け入れないし、自分で見つけないと仕方ないのだけど、ただ待つだけではだめですね。難しい時期の子どもは、ロールプレイなどは素直に受け入れてくれないのではと思います。

(深美より・・・不安定というのは思春期のことでしょうか? 思春期は、自分自身の枠組みをつくっていく上で、当然のごとく受け容れてきた古い殻というものを打ち破ろうとする力が働いてきます。この時、自分の心が空っぽ(依存的なあり様)だったとき、心の実態と壊した枠組みとのギャップの大きさにより、ギャップの大きさのぶん揺れていくわけです。中学校に入ってから、不登校になったり、荒れたりするのは、そのギャップの所為なのです。不登校と荒れは受身的と攻撃的ということで依存的なあり様ということで、表裏一体であることは、理解できますよね。ですから、結局、同じ事なのですね。つまり、主体的になれるように、心を育てていくということしかありません。遅ればせながら・・・ですが。そして、その手立ては、人間関係学科のようなファシテーションです。そう言う意味では、攻撃的な子は、本来アグレッシブですから、喜んでロールプレイングをします。受身的な子は、どちらかというと苦手ですが、やはり、何かしらの行動にもっていかなければいけないわけですから、ロールプレイングは有効な手立てです。ちょっとした頑張りを評価していきましょう。)

15 奈良県桜井市、Oさん
2011.8.8
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ついつい頭で考えがちな自分なので、アイスブレーキングも含めて、あたたかく柔らかい感じの語り口と合わせて、染み込んでくるような2時間半でした。
レジュメと中学校の取り組みを見ての質問いくつかです。今日の話の中で主体的な態度について尺度がないことが… との話があったのですが、誤解されやすいの発言も含めて、どんな尺度が必要と考えますか? 保幼小中連携の中で、大阪では、15年の育ちとして活動を始めていると思うのですが、人間関係づくりの連携の中でのプログラム的なものはできてきているのでしょうか? やっぱり頭で考えようとして、まとまらない質問ですみません。

(深美より・・・まず、二つ目のご質問ですが、松原第七中学校校区では、小学校のものは公開はしていませんが、小学校・中学校の9年間のプログラムがあります。それに、研究開発期間中(2007−2009)は幼稚園も含めた11年間のプログラムに取り組んでいました。
一つ目のご質問ですが、尺度といいますと、例えばアンケート項目などであらわされるものになります。松原第七中学校の学校生活調査というアンケートとほっとアンケートという二種類のアンケートの項目から、自己肯定感と自己効力感の項目の数値を合計して、主体性得点としてあらわしました。ブログでは、なかなか紹介しにくいので、メールをいただけましたら添付ファイルにて項目をお教えしますよ。)


14 奈良県桜井市、Mさん
2011.8.8

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とても楽しく、わかりやすいお話ありがとうございましたconfident
私は今、支援学級の担任をしているのですが、認知の話で物の見方、見え方は一人一人違うというのを改めて実感しました。平がなや漢字を一つ書くだけでも、それを一つの物ととらえれるか、そうでないのかで大きく変わりますよねsweat01
とらえることが出来ない子(空間認知が苦手な子)に空がきをさせてもちんぷんかんぷん?(゜_。)?(。_゜)?なのは当たり前…
赤色を赤だとわからない子に赤色を塗ろうなんていう言葉だけの指示だけでは難しいに決まってますねsweat01
依存的、主体的という話と全然違う感想ですみませんm(__)m
でも認知という面で新しい学びができたので、二学期から新しい支援が出来そうですshine
私が共に学んでいる子は発達年齢的に、まだまだ依存的な部分が大きいのですが、これからの成長で主体的な面をドンドン伸ばしていきたいです。
今日は本当にありがとうございましたconfident

(深美より・・・ありがとうございます。Mさんのご意見、私自身の勉強になります。中学生にもなりますと、特別支援を要する子どもたちは、固定観念や思い込みにとらわれるケースが多くなります。十何年もかかって積み重ねられてきたそういう思考から脱却し、開かれた人間に成長していくことは、なみたいていのことではなりません。やはり、小学校低学年レベルからの支援が必要なのだと思います。ですから、Mさんの書かれていることは、そのベースになることだと思います。ありがとうございました。)

13 長野県塩尻市、Miさん
2011.8.5
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今日はありがとうごさいました。ファシリテーションに興味があり、参加しました。携帯で打ち込みは苦手ですがやってみます。質問ですが相互依存というのは健全な依存、ということでいいですか? 4月から環境が変わり、自分を見つめ直すことが多い数ヶ月を過ごしました。今日先生からいただいた主体的と依存的の尺度の話、身近に感じてとても勉強になりました。シンプルに考え、行動できるよう心がけようと思いました。

(深美より・・・依存が悪いということではなく、依存的な姿から主体的な姿へと成長できるのが人間だ、ということです。不健全な依存、健全な依存というふうに分けてしまいますと、白か黒かというような発想になってしまいますよね。今日は、「人間らしさ」という項目をすっ飛ばしてしまいましたので、そのへんで理解を妨げてしまったのかもしれません。申しわけありませんでした。依存的というときの依存のイメージと、相互依存という言葉の依存というイメージは違うのだと思います。Miさんが理解していただいた「健全な依存」という意味は、「主体的なあり様の人どうしが、お互いに協力し、助け合い、生産的・創造的な相乗効果を生み出す」という部分の「協力し、助け合い」というイメージにあたると思います。)

12 長野県塩尻市、Mさん
2011.8.5

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依存的から主体的に変わっていく課程は、子どもたちが本能から理性を獲得していく成長と共通するものがあるように感じました。
人間関係学科の取り組みは具体的にどんなことをしているのでしょうか。p7〜p8にある具体的な授業内容を教えてもらえるとありがたいです。

(深美より・・・具体的に説明するとなると、すごく長くなるのですが、簡単に言いますと人間関係学科の3要素は「ソーシャルスキル」「出会いと気づきの力」「人間関係調整力+人間力」ということになります。このへんのことはあいあいネットワークofHRSのHP(http://aiainet-hrs.jp/03yotei/yotei.htm)・・・工事中の部分もありますが、考え方を書きました。具体的な授業はCD(http://aiainet-hrs.jp/01index/cd/index-mihon.htm)に指導案とふりかえり掲示物(一部)を公開しています。でも、このCDは県教委の清水先生がコピーをして配布して下さるとおっしゃってましたので、それを参考にしていただけますでしょうか。)

11 長野県塩尻市、Kさん
2011.8.5
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いじめの発生する構造(主体的、攻撃的、受身的)と、完全依存から主体性の割合を高めていくことの大切さは、なるほどと思うところがありました。そこで、主体性を発達段階に即しながら育てていくには、どういう場づくりをしていくことが大切なのか、もう少し、踏み込んでお聞かせいただきたかったと思いました。思い返してみると、ACは、おもしろいことをやっていたんだなと感心しました。

(深美より・・・それは、多分、成長を促進するカウンセリング的な受けとめであると思います。カウンセリングには「治す」という対処的なイメージがありますが、そうではなくて、カウンセリングを積極的に使って教育課程の中に組み込んでいくのです。これがガイダンスカリキュラムの基本的な考えです。保護したり、支援したりということも、ともすると「甘やかす」とかいうイメージを持たれますが、実は、そうではなく、保護や支援ということと、「厳しさ」ということは、両立するのです。それは、行為を受けとめるのではなく、存在を受けとめるということです。存在として受容することができるということではないでしょうか。例えば、子どもを「しかる」ことはよくあることですが、同時に受容できますか。例えば、子どもの目を見て許すことができますか。ということではないでしょうか。これは、発達段階に関わりなく、子どもでも大人でも同じではないでしょうか。それをできる人が主体的であると私は思っています。)

10 長野県塩尻市、Suさん
2011.8.5
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不登校の未然防止へのパラダイムチェンジと、依存・主体との関係をおききしたかったです。自分自身、依存と不登校は深いつながりにあるように思っています。(依存が悪いということではなく)もう一度、深美先生のお話をおききしたい思います。

(深美より・・・はい、このパラダイムチェンジという意味は、考え方の枠組みを変えるという意味です。つまり、依存的から主体的に成長していくプロセスにおいては、いじめも起こるし、不登校も起こるということです。不登校の側面から見ると、少々わかりづらいですが、いじめの観点で見るとよくわかります。つまり、いじめが起こったからといって「指導する」という観点だけでは、ダメだ。ということなのです。いじめた側には、責任を問うことはもちろんですが、それ以上の成長のための「支援」と愛情が必要なのだということです。これって、結構パラダイムチェンジでしょ?)

9 長野県塩尻市、Mさん
2011.8.5

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今日はありがとうございました。依存的、主体的のお話では、私は主体的な子どもになることを願っている、と思っていたのですが、うるさく感じることもあり、自分自身のことも見直してみなければいけないと思いました。幼保小中の段階により、指導がちがうことも頭に入れておきたいです。
最後の、思いをかたちにVS親切と思いやりの部分では、相手の気持ちをどれだけ感じて行動できるかだと思います。相手の気持ちにどれだけ立てるか、日々気をつけて努力してみようと思いました。

(深美より・・・はい、まさにそれが共感性だと思います。相手の気持ちを想像できるって、すごい力です。まさに、人間関係づくりの総合力だと言えます。コミュニケーションの総合力です。ですから、これは、ゴールのない無限の力を秘めています。そのために、「聴く」というスキルを駆使していきたいものですね。)

8 長野県塩尻市、Sさん
2011.8.5
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依存的・主体的の部分で、主体性を育てたいと思いながらも、それを主張すると、今年度はこの方向でと、いつもバッサリ職員会で切られます。(生徒の主体性を生かしたいと思い)結局、教員の言うことを聞く生徒を育てているような気がして、毎日が???です。同僚と、その件について話をしてもしっくりいかず、結果的には、依存的(楽な方)になっている自分に意欲が↓と感じています。この後の講座を受けてみると、その答えが見つかるのでしょうか。ありがとうございました。

(深美より・・・あの・・、多分ですが・・・まちがっていたらごめんなさい。課題設定だけでは、主体的になることはできません。依存的・主体的というのは「あり様」なので、主体的なあり様をめざすということは、スキルに裏打ちされたメタスキル(スキルを超えたもの)なのです。自分自身が主体的になれるように努力することです。修行と言ってもいいかもしれません。つまり、「認知」「行動」「評価」のスパイラルを実行することです。そうすれば、きっと、まわりに人が集まってきます。共感してくれる人も増えます。時間はかかりますが、実は、それが主体的になれる一番の近道なんですよね。スローガンをあげていくことは重要なのですが、それ以上に大事なことは、それを教員が実践するということです。きっと未来は開けてきます。自然体でがんばりましょう。ブログでもメールでも結構です。また、お便り下さいね。)

7 長野県塩尻市、Wさん
2011.8.5
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全く同じ考え方の人はいないのだから、共感する力を自分で広げていくことが成長なんだなぁと、改めて気づくことができました。自分と自分も聴き合うことを通して、自分の主体性を相互依存を広げていき、教師として成長していこうと思います。でも、どうしても、どうしても共感できない人って、どうしたらいいでしょうか。

(深美より・・・今日は、ちゃんと展開できませんでしたが、答えはアサーティブネスの理解にあると思います。多分、教員どうしの事を言っておられると思うのですが、教員どうしであれば、大人としての仕事の問題ですから、性格的、生理的な問題として考えるのではなく、職場や共通の場における「筋」や「ねらい」や「方向性」の問題ではないでしょうか。仮に、職場や共通の場において、無原則なマネジメントがされているのであれば、「どうしても共感できない人」はどうすることもできません。自己防衛のために健全な距離感をとる必要があるでしょうね。ですから、おっしゃるように、主体性と相互依存を広めていくということが、正道でしょう。具体的なことは、書きづらいでしょうから、メールでいただければ嬉しいです。私のアセスメントが間違ってるかもしれませんし・・・。)

6 大阪府泉南市、Mさん
2011.8.2
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今日はありがとうございました。主体的と依存的の関係、攻撃的と受身的、それに対する主体的の関係が少しですが分かってきたかな・・・と思います。それが成長社会から成熟社会への転換で、関わり方を変える必要がある。そのことの大切さを気づかせてもらいました。私は保育士なので、完全依存から依存的を大切にしています。それは、主体性の芽を育てる為の依存性だと感じました。まちがっているかもしれませんが・・・。また、考えていきたい(子どもたちに接するに当たり・・・)と思います。

(深美より・・・ありがとうございます。完全依存の状態から、少しずつ主体的なあり様が育っていき、最終的には主体的に、そして、主体的な人間どうしの相互依存の関係にまで高まっていきます。本当は、子どもたちが大人になるにあたっては、そうなっていなければいけないのですが、なかなかそうはならないのが現実ですし、教育の側にそういう尺度がほとんどないのが現状です。この現実をどうにかしていきたいですね。・・・とブログには書いたのですが、Mさんのコメントをよく読み直してみると、「依存的を大切にしている」というのは、保護であったり、無条件の愛情のことにについて書いてあるのではないかと気づきました。絶対的な保護が必要な幼児期であるからこそ、子ども自身の存在を大切にした無条件の愛情が必要であると書いておられるのですね。人間の成長のすべては、そこから始まるのだと私も思います。Mさんに教えていただいた気持ちです。)

5 大阪府泉南市、Kさん
2011.8,.2

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今日は楽しかったです。主体的な子の育成の意味がよくわかった。きれやすい子への支援について具体的に知りたい。

(深美より・・・基本的は同じだと思います。「きれやすい子」というのは、主体のなかみがまだ備わっていない状態ですから、よりていねいにそだてていくというこまやかな支援が必要なのではないでしょうか。ストレス対処とか感情対処の力をつける必要があります。)

4 島根県松江市、Sさん
2011.7.29
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認知・評価のサイクルを訓練してくり返していくことが、教育相談の基本であることがよくわかりました。トラブルがあった時に、相談を具体的にどう進めるか? 事情や状況によってかわるかもしれませんが、考えてみたいと思います。具体的なポイントがあれば教えていただきたいと思います。

(深美より・・・具体的なポイントとしては、カウンセリングの基本的な技法にあらわされているものということになると思います。ただ、その相談内容が緊急であるのか、緊急ではないのかというようなところで、若干違ってくると思いますが、学校の教員の場合は、アサーションのDESC法だけでも充分活用できると思っています。DESC法については、webにいろいろ紹介されていますので、参考にしてください。
yahoo検索「DESC法」 http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-necbpc3&p=%EF%BC%A4%EF%BC%A5%EF%BC%B3%EF%BC%A3%E6%B3%95&ei=UTF-8 )

3 奈良県橿原市、Rさん
2011.6.15

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♪大阪にはウ?マイもんが、いっぱいあるんやでぇ?♪の手遊び歌ですが…保育園に通う息子が、いつも歌っているのですが、歌詞が少し違いました。色んなバージョンがあるのですかね☆彡

(深美より・・・Rさん、おっしゃるとおりに、この手遊びには様々なバージョンがあります。私は、校区の恵我幼稚園の先生から教えてもらいました。)

2 奈良県橿原市、Hさん
2011.6.15
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きょうはありがとうございました。主体的か依存的ということでは、全人格が主体的である人間はあり得ない。主体的な子どもを目指すと言うが、一人一人の人間性を見つめた上でー判断して、伸ばしてあげられたらいいなあ!私は、子どものころから消極的な面と積極的な面とをあわせ持っていると感じています。

(深美より・・・Hさんのご意見ですが、「・・・主体的か依存的ということでは、全人格が主体的である人間はあり得ない。主体的な子どもを目指すと言うが、一人一人の人間性を見つめた上でー判断して、伸ばしてあげられたらいいなあ!私は、子どものころから消極的な面と積極的な面とをあわせ持っていると感じています。」といただきました。その通りではないでしょうか。子どもは子どもですから、主体的な子どもというのは、本当はいないのです。正確に表すと「主体的なあり様をめざしている子ども」です。ましてや大人であっても主体的なあり様のゴールというものは、存在しません。それは、無限の可能性を秘めたものであるからなのです。人間にだけ与えられた、大脳新皮質が、人間の自己実現を永久に追求していくのです。ただし、これは、人間として開かれているということが条件になります。最近はやりの「もしドラ」におけるドラッカーの言葉を借りれば「真摯さ」ということになります。先生たちは教員ですから子どもが「主体的」であることを頭では望みます。しかし、教員として依存的な生き方、あるいは閉ざされた生き方、あるいは、固定観念に囚われたあり様しか示すことができなければ、いかに子どもに「主体的なあり様」を望んでも、支援することはほぼ不可能であります。子どもに批判されることはあっても、生き方のモデルを示すことができません。ですから、ほんとうは、教員が不十分な状態でもいいので、主体的なあり様を「めざしている」ということが大切なのです。Hさんが書いておられる、まさに、その通りだと思います。

1 長野県大町市、Sさん
2011.5.13
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恥ずかしながら何の予備知識もなく参加しましたので、このwebページを見て、なるほどなるほど、と、「HRS]についての知識を補強できたところです。そもそも会場では、「HRS」って、中学校だから、「Home Room Short」かな?という状態でしたので。

(深美より・・・「HRS」の説明を省略するとは。看板にかかげていますのにね。webページまで見ていただいて納得していただいたようで、反省しています。HRSとは(Human Relation Studies)の略称です。あいあいネットワークofHRSとは、「人間関係学科を深めたり広めたりするための、あいあい(愛・会い・合い間・I )ネットワーク」ということを表しています。